inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

ブログタイトルの説明

まず、このブログのタイトルについて説明というか言い訳をする。
 昔、聖テレジアの「霊魂の城」(ドン・ボスコ社)という本を読んだ。内容については、あまりピンとこなかったが、聖テレジアが、狭い修道院内に閉じこもっている修道女たちに同情し、自分の内面(霊魂)にある宏大な城を探検し少しずつキリストに近づく事を勧めていることはわかった。私が引かれたのは、「内面にある宏大な城の探検」というイメージである。それが、自分の霊魂であるとは思えなかったが、内面的な風景や世界というものは存在すると思った。
 次ぎに、児童文学に夢中になりC・Sルイスの「ライオンと魔女」を読んだ。ロンドン空襲から疎開した4人の子供(男二人、女二人)が疎開先の田舎の邸を探検し、洋服ダンスの中で「ナルニア国」を発見する物語りである。
 ここで、「内面にある宏大な城」と、それを「探検する子供」のイメージが合体した。私自身は「子供」であり、「内面の宏大な城」は私個人の霊魂ではなく人間社会全体、特にキリストが主として支配し給う世界といったイメージである。私自身の位置は城のホンの片隅である。だが、窓から中庭や城外の風景を覗くことができる。部屋の扉を開いて別の場所に移動すると、また別の趣の部屋と窓からの眺めがある。気持が落ち込むと、窓も何もない掃除道具置き場のようなところに閉じこもってしまうこともある。だが、城の主の栄光や勲しを讃えるタペストリーや絵画、城内外のざわめきに惹かれてまた外に出てみる。次第次第に城の主に心惹かれ、讃美し、慈愛に感動するようになる。そして自分も、この城の主に仕えたいという願いを抱くに至る。そんな空想をした。
 このブログは、「内面の城」に住む私こと「子供」が、読書や出来事からどんな眺めを発見したか、その記録または日記としたい。
 そして、隣の部屋「建司の書斎」に残された書き物(主に説教や聖書研究)を紹介したいとも思っている。また、ささやかに継続している家庭礼拝の記録も残したい。
 もし、私と同じような境遇の人がこのブログを訪れ、「へー、彼女はこんな風に感じ、こんな事を考えているのか」など思って、他者の存在で自分の孤独を紛らせてくださったら望外の幸いである。とりあえず、始めてみる。

自己紹介をすれば、団塊の世代寡婦プロテスタントキリスト教信者である。