inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

おらはおらで独りでいくも

芥川賞を獲得した作品が、ある寡婦の「おらはおらでひとりでいくも」だそうである。

そく、宮沢賢治の絶唱、「永訣の朝」から取られていることを思い出した人は多いだろう。結核で世を去ろうとする最愛の妹が、いまわの際に賢治に一椀の雪を所望する。「私を一生幸せにするために」その奉仕を頼んでくれた妹!彼女は、自分のために兄や家族が看護に苦労すると悩み、(うまれでくるたて、こんどはこたにわりやのごとばかりで、くるしまなあよにうまれてくる)=今度生まれてくるときには、こんなに自分のことばかりで苦しまないように、(他者のために奉仕できるように生まれてきたい)といった。「とんでもない、おまえが私に雪を所望してくれたこと、その思い出が私を一生幸せにしてくれるなによりの奉仕ではないか。(Ora Orade Shitori egumo)先に天上に生まれて修羅である私を支えくれる存在へとおまえはなろうとしている。このふた椀の雪がおまえと私と衆生すべてを養い清める食物となることをすべての幸いを賭して私は祈る。」そんな感じの詩であった。

 信仰を同じくする賢治の妹、とし子の、いまわの言葉(私は私で独りで行きます)はどんな思いがこめられていたんだろう。兄を支えて共に生きることはできない。ごめんなさい、先に世を去ります。そして独立した存在となって、衆生を支えます。と賢治は解したとおもう。芥川賞作品はまだ読んでいないけれど、とし子の(Ora Orade Shitori egumo)を、どう解釈したのかいつか読んでみたいと思う。