inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

使徒パウロ2 回心と召命

教会の迫害者-回心と召命
 使徒行伝によれば、エルサレム原始教会内部に、ヘレニスト(ギリシャ語を母国語とするディアスポラユダヤ人)とヘブライスト(アラム語を母国語とするパレスチナユダヤ人)の対立が起きたとある。これは、実は物資配給問題ではなく、律法から自由なヘレニストキリスト者(ステパノ・ピリポら)と律法を重視する伝統的ユダヤキリスト者の、信仰理解における対立であった。律法重視のヘブライストキリスト者は迫害を受けなかったが、ステパノのユダヤ人弾劾演説を機に律法から自由なヘレニストキリスト者に対する迫害が起こり、ヘレニストはユダヤから逃げ出さざるを得なかった。その結果、シリア地方ほか異邦人の地にヘレニスト的キリスト教(律法から自由な)が伝播した。もちろん、これは各地のシナゴーグを中心に宣教された。
 パウロは「割礼を宣べ伝える」熱狂的なパリサイ派ユダヤ教伝道者であった。だから、律法から自由なヘレニスト的キリスト教は彼の伝道活動を足許から切り崩すものであった。シナゴーグにおいて、キリスト者イスラエルの信仰伝統に背くものとして迫害したのは当然である。ただし、殺害までの権限はユダヤ教団になく、現在でもイスラム国家でみられるむち打ちなどで罰したものと思われる。パウロ自身、キリスト者となってから3度もユダヤ人から(シナゴーグで)39回のむち打ちをうけている。
 キリスト者弾圧の意図をもってダマスコ周辺にいた時、突然、予想もしない復活のイエス顕現という、いわゆる幻視体験をする。印象的なのは彼は生前のイエスを知らないから、顕現されたイエスに「あなたはどなたですか」と尋ねることである。12使徒らとはまったく違う思いがけなさであったろう。この体験により、今まで彼が宣べ伝えていた、かつて出エジプト・シナイ契約という形で人間に介入された唯一の生ける神が、イエス派遣という行動によって最後決定的に歴史に介入されたことを悟る。そして、アナニアという人物の関与によって、キリスト教へと180度の転換をした。アナニアの教会から基本的な信仰告白を伝えられたであろう。
 ユダヤ民族の父祖伝来の、彼が命がけで勝ち取ろうとしてきた律法遵守による義、いわば人間主体の義ではなく、神が主体となって、キリストを信ずる信仰によって与えられる義=恩寵による義の道が今や開かれたのである!パウロのそれまでの一神教伝道は一変した。律法(シナイ契約)から解放された恩寵による義=キリスト・イエスを信ずる信仰による義(新しい契約)を宣べ伝えねばならない。パウロの回心は単に個人的な救いではない。割礼を受けユダヤ人になることによってではなく、ありのままの人間全体に打ち開かれた救いの道を宣べ伝えるために、預言者エレミアが受けたように「母の胎から彼を選び分かった」神からの召命の体験であった。これはイエスの死と復活の約2年後、紀元33年頃とされる。
 パウロは直ちに「骨肉に相談もせず」アラビア(ペトラを中心とするナバテア王国。当時は商業都市として栄えていた。)伝道に出発した。足掛け3年滞在し、ナバテア王の弾圧を受けてダマスコに戻る。そこでも彼はナバテア王代官に逮捕されそうになり、城壁を籠で釣り降ろされて逃れた。ナバテア王はユダヤヘロデ王と仲が悪かったが、それだけでなく、あまり熱心な伝道がユダヤ人及び多神教の地域住民の憤激を招いたのではないだろうか。教会設立までは至っていない。