inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

使徒パウロ3 第一回エルサレム上京からアンテオキアを中心とする活動時代 

第一回エルサレム上京から使徒会議と第一回伝道旅行(35~48年頃)

①第一回エルサレム上京(35年頃)
 ダマスコでナバテア王代官から逃れた直後、パウロは「ケパ(ペテロ)と近づきになるために」エルサレムに上京し、ケパのもとで足掛け15日滞在し、その間主の兄弟ヤコブにもあったと述べている(ガラテヤ1:18)。
 何のための上京であったのか。パウロの回心は、律法によらない新しい義の道が開けたことをキリストから啓示されたと確信した。「人々によってでも、人によってでもなく、イエス・キリストによって召された」使徒であるけれども、同じくキリストによって召されたイエスのご生涯と復活の目撃証人である使徒達、なかでも原始教会の柱である使徒ペテロと会い、同じ福音を受けたことを確認したかったのではないか。そしてペテロから信仰告白定型文「キリストが、聖書に書いてある通り、わたしたちの罪のために死んだこと、…三日目によみがえったこと」「①ケパに…、②次に12人に…。③そののち五百人以上の兄弟たちに、同時に…。⓸…そののち、ヤコブに…、⓹次にすべての使徒たちに現れ」(Ⅰコリント15:3以下)の信仰告白定型文を「受けた」と考えられる。そして顕現リストの最後に⑥パウロ自身への顕現を付け加えることが合意された。だから、ペテロは、パウロが受けてすでに宣べ伝えている福音が、自分達が宣べ伝えている福音と同一であることを認め、かつパウロへの顕現を信仰告白定型文に付け加えたのである。
 教会の迫害者であったころからすでに優秀な異邦人伝道者であり、「同国人で同年輩の誰よりもユダヤ教に精進していた」パウロは、同一の福音であることを互いに認め合った以上、優秀なヘレニストキリスト者たちの去った、素朴な庶民上がりのヘブライストキリスト者を中心としたエルサレム教会に、これ以上とどまる必要はなかった。また、ステパノらヘレニストを迫害した当時のエルサレム情勢から、滞在はパウロだけでなくエルサレム教会にとっても危険であったことだろう。

②アンテオキア教会を中心とする活動(35年~48年頃)
 パウロエルサレムを去り、遠隔の(故郷タルソのある)キリキア地方、およびシリア地方を中心として、単独の伝道活動を再開した。伝道は成功をおさめ、かつての迫害者がキリストを宣べ伝えていると聞いて、エルサレムキリスト者達は神を賛美した。
 ところでシリアの中心都市アンテオキアには、エルサレムを追われたヘレニストキリスト者バルナバらが創設した教会が存在した。異邦人を多く受け入れ、大都市であったから迫害を受けることもなく、盛んに宣教活動を行っていた。この教会の中心人物のひとりバルナバは、パウロの噂を聞いて、彼に会い、伝道者としてアンテオキア教会に連れてきた。それまで、一匹狼で単独で活動していたパウロは、以後、アンテオキア教会から派遣される形で(後ろ盾を得て)活動できるようになった。パウロの働きは目覚ましく、アンテオキアでは、キリスト者たちはユダヤ人・異教徒とならぶ第三の勢力として「クリスチャン=キリスト者」と呼ばれるまでになった。
  一方、ユダヤ国内ではローマ支配からの解放を目指す偏狭な愛国熱が高まり、律法をおろそかにするような気配があれば、リンチや迫害に遭うような情勢であり、十二使徒の一人であるヤコブは殺害され、ペテロも捕縛された。天使の助けにより脱獄したが、ペテロはもはやエルサレムにとどまることはできず、教会指導を主の兄弟ヤコブに託して各地で伝道者として活動するようになった。

エルサレム使徒会議と第一回伝道旅行(48年頃)
 このような情勢は、教会がユダヤ国外では律法を軽視していると知られれば、エルサレム原始教会まで迫害される可能性さえあった。律法を重んじるエルサレム教会の一部の者たちは、異邦人入信者に割礼を受けさせよとアンテオキア教会に要求してきた。異邦人伝道の中心地となっていたアンテオキア教会にとって、従来および今後の宣教にかかわる重大問題であったから、これについてエルサレム側と話し合うため、パウロバルナバエルサレムに派遣した。これが、エルサレム使徒会議である。
 これは、キリスト教が世界的視野をもつか、ユダヤ教内部にとどまるかの瀬戸際問題であったから、パウロはわざわざ異邦人キリスト者テトスを同伴し、瞬時もテトスへの割礼強要に屈せず、エルサレム側を説得した。エルサレム原始教会に異邦人を割礼なしで受け入れるさせるまでは情勢からみて困難であった。だが異邦人伝道を最初に開始したペテロ(会議のためエルサレムに来た)の協力もあり、結局、①異邦人伝道は従来通りパウロらアンテオキア側が、ユダヤ人伝道はペテロを中心にエルサレム側がと、宣教の役割分担を行う、②ただし異邦人側は、信仰の一致とエルサレム側から受けた福音の感謝のしるしとしてエルサレム原始教会に献金する、という妥協が成立した。
 これは受け取り方で、ユダヤキリスト者は律法重視するともとれる。だが、パウロとしては、異邦人伝道に一層熱が入ったことであろう。直後から、アンテオキアでは異邦人・ユダヤ人の共同の食事まで行われるようになった。パウロバルナバは、アンテオキア教会から派遣され、バルナバの故郷キプロス島を含む第一回伝道旅行を行う。