inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「パウロ」を見て

 先日、渋谷で映画「パウロ」を観た。正直言って、やはりね~と、ため息が出る内容であった。一番神経に触ったのは、ローマの大火の結果、キリスト者に対する迫害が起こり、街灯の代わりにキリスト者を焼き殺して灯りにするなどの悪趣味な描写があったことである。この監督のキリスト映画もそうだったが、残虐シーンを描いてショックを与え、内容的な感動にすり替えようとしているのではないだろうか。この手の安っぽいテクニックで簡単に感動するほど観客は単純ではない。少なくともこの映画を観ようと思うほどの人は、聖書くらい読んでいるだろうし、パウロが大火の首謀者として捕らえられたわけではないことくらい知っているはずだ。

 パウロは異邦人教会でエルサレムの「聖徒たち」のために献金を募り、それをエルサレム教会に渡そうとして、偏狭な民族主義が高まり異邦人との交際に過激に反応するエルサレムに危険を承知でわざわざいったのである。そのためエルサレム詣のユダヤ人で混雑するルートを避けたことまで聖書に記載されている。エルサレム教会としても、そのような状況の中で異邦人からの金を受け取るのは困難な情勢であった。だから主の兄弟ヤコブは、ナジル人への喜捨という敬虔な行為をパウロに勧め、そんな敬虔な人物からの献金として受け取ろうとしたのである。ところが、パウロがそのために神殿に詣でたところを彼が有名なキリスト教伝道者であることを知るディアスポラユダヤ人に見とがめられてしまった。そのために騒乱となり、ローマの治安部隊に逮捕されてしまった。その結果、カイザリア城で2年も未決囚として監禁され、あげくにパウロ自身が、ローマ市民権を持つ者の権利として皇帝に上訴し、ローマに護送されたしだいであり、大火の首謀者として逮捕されたわけではない。

 ローマのキリスト者集団のリーダーとして、アクラ・プリスキラ夫妻が登場するが、彼らはクラウディウス帝のユダヤ人追放令で、ローマを立ち去り、その後エペソ教会の主要メンバーとなっており、ネロの迫害時にはローマにはいなかったはずだ。

 また、ステパノ殉教の場にもパウロは立ち会っていなかった(パウロ自身「エルサレムでは顔を知られていなかった」と述べている。使徒行伝の記事は正確な情報ではない)し、宗教教団として死刑までの権限をユダヤ教団は持っていなかったのだから、迫害者パウロが人を死に至らしめたこともなかったはずだ。異端的信仰に対しむち打刑で罰する程度だったのではないか。映画ではパウロはかつて迫害した人々の亡霊に苦しむなどの描写があるが、パウロの手紙を読む限り、「神への熱心の点では教会の迫害者」などむしろ誇っているくらいだから、良心の呵責に苦しんでいたとは思えない。死後、かつて迫害した被害者たちがパウロを殉教者として笑顔で迎えるというラストシーンもお安い感動のように見えてしまった。

 私が予習をしすぎたせいかもしれないが、この映画は物足りなかった。「クォバディス」の焼き直しではなく、もっとパウロ自身を描いて欲しかった。逃亡奴隷オネシモを主人ピレモンが「もはや奴隷ではなく、愛する兄弟として」受け入れるよう命じているピレモンへの手紙を読むと、パウロキリスト者相互の関係をどのようにとらえていたかを思いいつも感動する。殉教者としてだけでなく、キリストにある兄弟愛の手本としてパウロを描くことも可能だったのではないか。期待しすぎた自分がいけなかったと思いつつ映画館を出た。