inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

泥足にがえもん

 C.S.ルイスの「ナルニア国」物語シリーズは、子供向けファンタジーとされているが、私も大好きな読み物である。あまりキリスト教的に解釈しなくても、素直に、物言う動物や登場人物のキャラクターを楽しんでいいと思う。

 シリーズの1巻に「銀の椅子」がある。こちら側の現実世界からナルニアに送り込まれた二人の子供たちが、魔女にさらわれたナルニアの王子を救出に向かう冒険譚である。子供達には、ナルニア独特の生物である「沼人」が付き添っていくことになる。沼人とは、物事をできるだけ暗く深刻に考え、最悪の事態を予想して行動すべしという信念をもった人々(生物?)である。水かきをもった細長い手足、泥色の顔色、重たく地を這う煙をだす煙草を愛用する。選ばれたのは「泥足にがえもん」と称する沼人であった。(気に入った本は原文でよむ主義の私だが、このネーミングが気に入って、邦訳で読んでいる。訳者のユーモア感覚が素晴らしい。ドリトル先生シリーズを翻訳した井伏鱒二も、双頭の動物に「押しつ押されつ」とネーミングして、読者に忘れがたいイメージを与えている)。彼は道中、あらゆる不快な予想をして子供たちをうんざりさせる。穴に落ち込んで出られなくなると、「これの良い面は、埋葬してもらう手間が省けるということです」など子供たちを励ますのであった。

 結局、王子は魔女によって地下世界に捕らえられ、自分が何者かを忘れ、地下世界がすべてだと思い込まされていた。救出に向かった一行に「女王(魔女)は自分が何者かもわからないわたくしを憐れみ、地上のある国(ナルニア)を地下からトンネルを穿って攻め込み占領し、わたくしと結婚して共にその国を支配しようと準備しておられるのです」などと語る。王子をたぶらかしていた魔法の「銀の椅子」が破壊され、王子が正気に返り、太陽が輝くナルニアに戻ろうとすると、「女王」が登場する。

 「太陽とはなんですの?」「この部屋にともるランプのように輝いて、世界中を照らす存在です」「そんなもの、本当にあるのでしょうか。あなた方は、ランプをみて空想しただけなのです。実際にあるのは、ランプであって空想の《太陽》なんかじゃないんですよ」

 魔力の香の立ち込めた中で、王子と子供たち一行はだんだんそんな気がしてくる。太陽もナルニアも、自分たちの空想するおとぎ話の中の存在ではないだろうか。今、体験しているランプと地下の穴倉だけが現実存在なのだ、と考え始まてしまった。

 ここで「泥足にがえもん」が本領発揮する。「そうでさあ、女王様。でも、あたしらは、現実のこの穴倉やランプなんかより、空想の太陽やナルニア国のほうがよっぽど好きなんです。このまま穴倉に留まるよりは、たとえ地下に埋もれて死んだとて、太陽やナルニアを求めて暗闇をさまようほうがよっぽどいいんです」と言い放つ。

 この言葉で、王子と子供たちも目が覚める。「沼人、よくいった!」「太陽もナルニアもほんとにあるんだ!」と口々に叫んで、魔女と戦い勝利する。

 沼人も魔法にかかって、太陽やナルニアを空想の中の存在と信じかけていた。ただ、彼は、涼しい風が通い太陽が輝く地上世界の「イメージ」を愛した。たとえイメージにすぎないにしろ、いま体験し感得する世界ではなく、自分が愛するであろう世界に向かって生きる決断をしたのであった。

 弱肉強食、権力が支配する世界ではなく、愛し合い支え合う世界を夢見て生きる。たとえロータスイーターとさげすまれようとも、理想を夢見ることが生きる力になる、と「泥足にがえもん」は決断したのだ。だが物語では、太陽もナルニアも現実に存在する。目に見えなくとも感じられなくとも、よりよい世界が存在すると信じる力を沼人は失わなかったのである。

 カエルそっくり、悪い予想しかしない、しかしながらどん底最悪の状況でも、希望や夢を失わないこの「泥足にがえもん」は、私のお気に入りのキャラクターである。