inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「ボヘミアン・ラプソディ」


 年末に、話題の「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
 「クィーン」は私とほぼ同世代のロックバンドである。だが、彼らがヒットしていた時は、子育てや生活に追われてロックミュージックどころではなかった。流行っていることだけは知っていたが、ほぼ初体験である。
 飛行場の荷役でアルバイトをしている少年フレディがいる。「パキ」(パキスタン人)と差別されているが、実はムスリムイスラム教徒)の迫害からイギリスに逃れたゾロアスター教徒の出身である。亡命前は裕福な自営業者であった父も、現在は人に使われる身となり実直に働いて家族を支えている。堅物の父親は、アルバイトを終えロックライブに出かけようとする息子を「夜遊び」と咎める。「善き考え方、善き言葉、善き行い」が口癖のそんな父に、「それで、どんないいことがあった?」と言い捨ててライブに出かける。彼には、ロックで発散させたい鬱屈があるのだ。ライブは素晴らしく、終わった後にバンドに遭いに行く。探していると、かっこいい女の子がいた。じっと見つめて「何の用?」と言われてしまう。「さっきのバンド探してる」といったものの、思わず「君のコート、かっこいいよ」と言ってしまう。「ビバ(洋服のブランド)よ、その店で働いてるの」。
 外に出ると、さっきのバンドは歌手が脱退して解散寸前だと告げられた。フレディは自己紹介し、少し歌い、実力を示して歌手としてバンドに参加することになる。
 「ビバ」に、衣装を買いに行くと、ライブで出会った彼女(メリー)が対応してくれる。気に入った服を手に取ると女物だという。「表示されてないじゃないか」と置こうとすると、「そんなことこだわる必要ある?」とメリーはいう。それを試着し、メリーがスカーフを選んで巻いてくれる。「あなたのスタイルすてきよ。でも、もっと冒険しなきゃ(should be free)」と云って、彼に化粧をしてくれる。「冒険しなきゃ」という言葉が彼を解放する。自分の中の何かを解き放ち表現したい。メリーはそんな彼を理解し、寄り添って一緒に解き放ってくれた初めての人なのだ。彼女に吸い寄せられるように惹かれる。
 フレディが参加したバンドは成功する。名前も「スマイル」から「クィーン」に変えた。思い切って演奏旅行用の自動車を売り、アルバムを制作することにした。制作に熱中する場面は面白い。録音テープを使って音を重ね合わせ、スピーカーを振り子のように動かして変わった効果を出してみたり、エコーをしてみたり等々、新しい技法や効果を追求する。アルバムは、大ヒット。メリーと婚約し、アメリカ・ツアーが組まれ、熱狂的に迎えられる。アメリカ・ブラジル・日本等々、世界中で大成功する。著名なプロデューサーから新アルバム制作の申し出がある。意気揚々と、「二度と同じ企画は繰り返さない。今度は、音響効果ではなくオペラ(クラシック)とロックの融合だ!」と宣言し、バンドは田舎の農場にこもり、制作に熱中する。
 「運命の人」を制作演奏するフレディは美しい。彼に惹かれた男からキスされる。キスを受け入れた。「だが、運命の人(愛する人)はメリーだ」ともいう。しかし、彼の中の「ゲイ(同性愛)」は解き放たれてまたった。彼は、男性に情欲を感じるようになった自分に苦しむ。ついにメリーに告白する。メリーを愛している。だが…。
 完成した新アルバム「ボヘミアン・ラプソディ」は異例の長さで、プロデューサーに拒否され、歌詞が難解で訳がわからないとメディアで不評であったが、大ヒット。ライブやツアーで世界中の聴衆を熱狂させる。
 だがフレディ自身は、心の混乱の中、夜ごと乱痴気パーティを開き、ゲイを侍らすようになった。父親は、そんな彼を報じる新聞記事を恥じる。メリーも、彼と心の絆だけでは満たされず、別のボーイフレンドを作るようになる。「クィーン」が大ヒットする中、フレディに思い上がりが生まれた。ソロシンガーの申し出を受け、ゲイとの同棲に批判的な「クィーン」の仲間から分かれて、自分独自のアルバムを出す決断をする。同棲相手が外部との接触を妨害する中で、制作に熱中する。体調が悪い。
 突然メリーが訪ねてきた。「悪い夢を見たの。あなたが聾唖のようになり、歌っても声が聞こえない夢だった。あなたは、一人ぽっちになろうとしている。だめよ。バンド仲間に帰って!そしてバンドとして、ライブ・エイズ(アフリカの飢餓救援ライブ、世界規模で衛星放送され、著名ミュージシャンが参加した)に参加して頂戴。その申し出を伝えない同棲相手は、あなたを独占し孤独にしようとしている。あなたは、あなたの仲間のところに戻るべきよ」という。今でも彼を心にかけ誠意を尽くしてくれる彼女に、「一緒にいてくれ」と頼む。だが「だめ。私、妊娠しているから」といわれた。
 「ゲイ」の誘惑に溺れた結果、「運命の人」メリーに彼とは別の人生を選ばせてしまったのだ。メリーは、彼とは無縁の子供を宿し、彼は取り残される。
 体調の悪さはエイズ感染によるものだった。恥辱と破滅のエイズ告知、まじかに迫った死の宣言を受けて病院から立ち去ろうとすると、顔を伏せて廊下に座っていたエイズ患者が、「アーアアア」と呼びかけてきた。これは「クィーン」がライブで聴衆と掛け合う、バンドと聴衆との共感を表現しあう言葉である。フレディも「アーアアア」と返す。患者はフレディの絶望と孤独がわかる(同病だから)。だから「君だけじゃない、俺もだ」と声をかけ、フレディも「そうだ。わかった」と応じたのだ。患者の顔に微笑みが浮かぶ。この瞬間、彼は心が決まる。生涯の暗中模索と苦悩の中、ライブで音楽で、自分と同じ悩みを抱えた名も知れぬ聴衆達と共感し合った。自分はこのパフォーマンス(表現)のために生まれたのだ。
 乱痴気パーティにふけっていた頃、「君が自分を発見したら、また会おう」といって去っていった男がいた。フレディは彼(ジム)を探し出す。
 バンド仲間を呼び出し、「どうかもう一度僕を受け入れ、ライブ・エイズに一緒に出演してくれ」と頼む。そして久しぶりの練習の後、最初に彼らに自分がエイズであることを告白する。「でも、同情しないでくれ。僕は、自分がそのために生まれたパフォーマーとして、燃焼しきるつもりだ」という。
 ライブ・エイズ出演当日、出演前にジムを伴って実家を訪問する。これがアフリカ飢餓のための無償の奉仕であること、ジムが最後まで付き添ってくれることを報告する。「二人はどうして知り合ったの?」との問いに、ただ目を見かわしてジムの手を固く握るだけである。ゲイを恥じず言い訳をせず、自分の仕事に誇りと生きがいを見出した息子の態度に、父は感動する。思いがけない形であっても、息子は立派に一人の人間として生きているではないか。「じゃあ」と立ち上がるフレディを抱きしめる場面、感動的だった。ロックを聞いたこともない父が、ライブを見逃さないようテレビに向かう。
 ライブ・エイズボヘミアン・ラプソディーを演奏する。この場面までくると、歌詞の意味が何となく理解できる。「ママ、僕は人を殺した」(彼はゲイを解き放って自分を殺した。)「生まれてこなければよかったと、思ったりする」「だけど同情なんかいらない」「止めてくれ、でも僕を自由にして(ときはなって)くれ」。フレディは自分を歌う、だが、聴衆達も彼の「俺は、そうさ惨めな奴」「だけど同情なんかいらない」「解き放ってくれ」に共感する。孤独と惨めさを自覚し、それでも毅然として自分自身であり続けようとする心が、大衆を共感させ、奮い立たせる。「We are the canpion」を聴衆は自分のことのように熱狂して一緒に歌う。また、ギターのソロ演奏が実によかった。映画が終わり、満足して席を立った。