inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画、「孤独のススメ」感想

レンタルビデオ屋をのぞいた。コメディの棚に、初老の男のカバーで「孤独のススメ」があったので、借りてみた。

 真っ平らなオランダの郊外をバスが走っている。乗客も少ない。初老で独り者の男(フレッド)が、バスをおりる。自宅前の原っぱで子供たちがサッカーをしているのを眺める。(息子もああして遊んだ)。家に入る。美しい妻と7・8歳の息子の写真の前で、カセットテープの音楽を聴く。8歳だった息子(ヨハン)の天使の歌声である。マタイ受難曲、ペテロの否認の後のアリア「Erbarme dich, mein Gott.…憐れみ給え、わが神よ、したたり落ちるわが涙のゆえに」である。ふと窓の外をみると、隣人の庭に、無精ひげの浮浪者がきているではないか。昨日、金を渡してあげた男だ。また物乞いかとカッとなり、外に出て浮浪者をしかりつける。ただで金をもらうのではなく、庭の雑草取りでもして働いて稼げという。浮浪者はおとなしく従い、彼の庭で働いた。その労をねぎらうつもりで、夕食を振る舞った。帰る家がなさそうなので、息子の部屋だったところに泊めることにした。案内して部屋のドアを開けると、ギターや楽譜スタンドが、(息子が)いた頃のままおかれている。息子が学生だった頃が思い出された。

 

 翌日は身なりを整えさせ礼拝に連れて行き、物置にあった息子のおもちゃ箱からサッカーボールを出して、浮浪者にサッカーを教え遊ばせてやった。

 こうして、半分白痴のような浮浪者を家に置き、世話するようになる。着たっきりの服を洗濯機で洗い、何かに着替えろというと、なんと亡くなった妻のドレスを着てしまう。ひらひらしたスカートを喜び、くるくる回って踊っている。一瞬妻が踊っている幻が見えた。息子や妻の幻をこの浮浪者がつれてきたようだ。

 酔ってそのまま寝てしまい、ふと気がつくともう朝である。浮浪者が家の中にいない。外をみると、女の服をきたまま子供たちに混じって遊ぼうとしている。あわてて連れ帰る。子供から「ホモ野郎!」の罵声があがる。

 家族の幻を浮浪者の中にみてしまった彼は、妻に求婚した思い出の地(マッターホルン)にこの男をつれてもう一度いってみようと決心する。旅行会社でツアーを尋ねると担当の女が親切に応対してくれた。だが、すこし資金的に検討が必要である。パンフレットを抱えてもどるバスの中で、妻にプロポーズした思い出を浮浪者に語る。「そしてこういったんだ。『あなたと共に、神に従い、神に仕えつつ生きてゆきたいのです。どうか、結婚してください』」。すると浮浪者は感動した面持ちで「はい」と答える。自分がプロポーズされた気になってしまったのだ。「この~!どうしょうもない奴」とあきれつつ帰宅すると、家の壁に「ソドム&ゴモラ」(ホモの意味)と落書きされていた。近所の人がどうなることかと覗いている。カッとなり、いっそ本気でこいつを同居させてやれと転入届けのため役所に駆けつける。「私の住所にこの人を転入させます」というと、浮浪者は「結婚するからです」と口を出す。「冗談ですよ」とごまかして、自分のIDカードを出す。すると、なんと浮浪者までIDカードを出すではないか!自宅があり、妻もいた。

 改めて、浮浪者だとおもっていたこの男(テオ)の住所を訪ねる。「ダーリン」と飛び出してきたのは、旅行会社のあの女であった。ひどい事故の後遺症で白痴のようになり徘徊するようになったとのこと。テオを残し、一人帰宅する。

 一人になった孤独に耐えかね、電車に乗って町に出る。ゲイの出入りするクラブで彼の息子は歌手をしていたのだ。だが、カルビン派の熱心なキリスト者である彼は、化粧をして舞台に上がる息子を見るに耐えない。会わずに帰ってしまう。

 翌日、テオが戻ってきた。「結婚して」この家が自分の家になったと思いこんでいるのだ。テオの妻が、彼の着替えをもってやってくる。テオに「やっと自分の場所を見つけたのね。よかった」という。こんな夫を受け入れ愛しているのだ。彼の心の中で、何かがはじけた。

 テオの妻に同行してもらい、息子が歌っているクラブに行く。舞台に上がり「This is my life…これが私の人生なの」を熱唱するヨハン(息子)、正視できず逃げ出しそうになる彼。だがテオの妻が優しく引き留める。しだいに、歌に引き込まれていく。ゲイであろうと、息子を愛さずにおれない自分がいた。息子と目があう。「This is me. This is me.(これが私、これが自分なの)」と歌いながら目を見開き棒立ちになる息子。歌が終わる。彼は大きく手を広げ立ち上がり「ヨハン!」と息子の名を叫ぶ。This is my lifeの音楽に、Erbarme dich, mein Gottの音楽が重なる。否認したペテロへのキリストの憐れみと慈愛が、彼ら父子の事柄となったことがわかる。

 ラストは、テオをつれてマッターホルンを訪れる場面である。ゲイの息子を受け入れた彼は、今や晴れ晴れと、テオを抱きしめる。抱きしめているのは、実はひげ面のテオではなく、マッターホルンに象徴される「神に近いところ」にいる亡き妻なのだ。「気持ち悪い」とか「ホモ」とか、どう見られようとかまわない。彼は今、孤独ではない。家族の愛の絆の中にいた。

 亡き妻の幻を宿したテオを、夫のように父のように、これからも彼は愛するだろう。テオとその妻が「愛にあふれた、この広い世界」を彼にもたらしてくれたのだから。

 浮浪者の勘違いや、堅物キリスト者のとまどいに笑いかつ泣き、バッハの「Erbarme dich, mein Gott」と「This is my life」の音楽を堪能し、暖かな気持ちになる上等なコメディであった。

注:This is my lifeは、日本のイグザイルのものではなく、シャーリー・パッシーの持ち歌。歌詞は以下の通り

Funny how a lonely day, can make a person say
What good is my life
Funny how a breaking heart, can make me start to say
What good is my life
Funny how I often seem, to think I'll find never another dream
In my life
Till I look around and see, this great big world is part of me
And my life
This is my life
Today, tomorrow, love will come and find me
But that's the way that I was born to be
This is me
This is me

This is my life
And I don't give a damn for lost emotions
I've such a lot of love I've got to give
Let me live
Let me live

Sometime when I feel afraid, I think of what a mess I've made
Of my life
Crying over my mistakes, forgetting all the breaks I've had
In my life
I was put on earth to be, a part of this great world is me
And my life
Guess I'll just add up the score, and count the things I'm grateful for
In my life
This Is my life
Today, tomorrow, love will come and find me
But that's the way that I was born to be
This is me
This is me

This is my life
And I don't give a damn for lost emotions
I've such a lot of love I've got to give
Let me live
Let me live

This is my life
This is my life
This is my life