inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

バッハ:マニフィカート

 バッハのマニフィカートを初めて聴いた時、「マンニフィカート」と歌い出すその凶暴なまでの溢れる歓喜に驚愕した。
 マリアの妊娠は婚外妊娠であり、結婚を控えた若い乙女にとって迷惑な出来事であり、いくら神の思し召しであっても、天使に祝福されたとしても、苦難の経験であったはずだ。お告げを受けた彼女は、自分が主の「はしため」であることを認め、神意を受け入れた。だがそれを溢れる歓喜で受け入れたとは書いていない。
 ところが親族エリサベツを訪問し、彼女の挨拶を受けて初めてマリアは神を讃美した。それが「マリアの賛歌」である。
 マリアはイエス誕生の時の羊飼いらの報告や、イエスの宮詣での出来事その他を「心に思いめぐらして」いたと記されている。そうした内面的性格の彼女の賛歌であるから、さぞ瞑想的な雰囲気のものであろうと期待していた。実際、讃美歌95番「わが心は、あまつかみをとうとみ…」は静かで瞑想的な雰囲気がある。
 ところが、この曲の歌い出しはどうだ!まるで、ダビデゴリアテを倒した時の「やったー!万歳!!」のようではないか。
 その感想を夫に話したところ、ルターの「マグニフィカート」(マリアの賛歌講解)をクリスマスプレゼントされた。もう30年以上昔である。
 そこにこうあった。「神が低きをかえりみ、貧しき者、軽蔑された者、苦しめる者、悲惨な者、捨てられた者、そして、まったく無なる者のみを、助けたもう神にいますことを経験するときに、神は心から愛すべき方となり、心は喜びにあふれ、神の中に受けた大いなる歓喜のためにおどるのである。》そして、そこに聖霊はいましたもうて、一瞬の間に、この経験において、わたしたちに、溢るる知識と歓喜とを教えたもう。」
 バッハのこの曲の爆発的な歓喜は、聖霊の教える知識と歓喜によってマリアが《心は喜びにあふれ、神の中に受けた大いなる歓喜のためにおどる》体験を表現していることが初めてわかった。ラッパは曇りない歓呼を上げ、「マニフィカート」の叫びが繰り返される。これは、聖霊によって魂が高揚され、まるで津波に巻き上げられるように日常の水準を超えた神賛美に導かれたことを表現していたのだった。
 ルターのこの著作に深く教えられた。そして、この曲を聞く度に「主よ、わたしの讃美はあなたからくるのです」という詩篇の讃美を思い起こす。そして寡婦となった今は、妻の疑問に応えて適切なプレゼントをしてくれた夫への感謝と、彼のささやかな満足感も思い出し、温かい気持ちになるのである。