inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

ある音楽学者の死を聞いて

 バッハ生誕300年記念の年だったと思うが、音楽雑誌にバッハ特集がありマタイ受難曲が取り上げられていた。そこに「磯山雅」という人が解説を載せておられた。それまでの音楽そのもの自体の解説とは違って、思想的信仰的な面から楽曲の解説をしておられ、非常に新鮮で今までなかった音楽とのアプローチを感じた。早速、その一文に感銘を受けたことと、この方の著書が在ればご紹介いただきたいと出版社に手紙を出した。するとなんと、思いもよらずその磯山氏ご本人から手紙が届き、近々「バッハ、魂のエヴァンゲリスト」という本を出版する予定なので、よろしかったらご購入いただきたい旨お知らせ下さった。

 ただのバッハファンに過ぎない者に丁寧にお手紙を下さったのに、お礼状もださないままにだったが、以後ご著書が出る度に楽しみに購入していた。だが私自身、子育てや仕事といった生活に追われ演奏会はもとより、レコードやCDを自宅で聴く時間すらなく今まで過ごしてしいた。たまたま、教文館お知らせメールで磯山先生の「ヨハネ受難曲」が新刊として紹介され、飛びついて購入したが、なんと磯山先生は2018年事故死され、これが遺作だということを知った。

 何という悔しく残念なことであろうか。バッハの音楽の背景にはヨーロッパにおけるキリスト教の敬虔の歴史があり、特に宗教改革のルッター派神学の影響が色濃く反映されている。その背景の理解なくてはバッハが音楽で伝えようとしたことが充分に理解できない。それを、先生はしっかりと取り組まれたのであった。楽曲の譜面上のことなど、専門家ではないただの音楽ファンにはついて行けないむずかい面があるが、日本のキリスト者として、頭の上だけでなく、全感覚において信仰するという課題に直面する者にとって、バッハを聴くというのは決して耳の楽しみだけではない。音楽の国ドイツではなく日本に於いて、私達が自分の感性でバッハを聴くことにつき磯山先生の解説は素晴らしいものがあった。

 したかったことをまだ残したまま、私の夫も旅立ってしまった。人間の生きる時間はなんと少なく、はかないものであろうか。そう思うほどに、主にあって希望を抱くことがいよいよ切実に感じられる。決して此の世の生を軽んじるのではないが、天に望みを抱いて生きかつ死ぬ者であらねばならないと、切に思った。