inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

田中芳樹「銀河英雄伝説」

 コロナ禍と引きこもりの孤独に耐えかね、レンタルショップで娯楽アニメを探してみた。娘のお勧めは「キングダム」というアニメだったが、人気のようで借り出されていて、仕方なく「銀河英雄伝説」(旧作)を試しに借り出した。
 これが実に面白かった。続きを借りに行ったら、また貸し出し中。そこで文庫本をゲットして全10巻、あっという間に読み終わってしまった。
 勿論、娯楽作品だけれど、歴史や社会体制についての作者の思索が登場人物に反映されており、読み応えのある小説であった。外伝もあるそうなので、機会があれば入手予定。
 あらすじを、ざっと紹介する。超未来、銀河全体に広がった人間社会は大きく3つの社会体制に分かれていた。皇帝を頂点とする貴族社会の銀河帝国、そこから自由を求めて脱出し民主共和制を採用する自由惑星同盟、帝国から自治を認められているフェザーン自治領である。帝国と同盟は互いに対立し、断続的戦争状態にある。フェザーンは外交なき二つの国家間の貿易を独占し利益を得ている。
 帝国軍に、若年で異例の出世を遂げた美貌の若者(主人公、ラインハルト)がいた。貴族最下層の身分でありながら皇帝の寵姫となったアンネローゼの引き立てによるものである。貴族軍人からは反感と蔑みの対象となっている。ラインハルトは、腐敗した貴族体制に反発を抱き、この帝国体制を覆し宇宙全体を支配する野望を抱いている。まず、同盟側(反乱軍と呼んでいる)との戦争に功績を挙げ、軍を掌握し、その力を元に、帝国を支配する。しかる後、同盟国を屈服させて宇宙全体を支配するとの計画である。彼のモデルは、おそらくアレキサンダー大王やナポレオンらしい。それだけの軍事的才能をもった人物として描かれている。
 ところが、同盟側にもラインハルトと同等の軍事的天才ヤン・ウィリーという人物がいた。彼は、その才能にも拘わらず野心を全く持っていない。歴史が大好きで、幼い頃、父に「どうしてルドルフ(銀河帝国創始者)なんて独裁者が生まれたのか?」と聞いた。父は「それはね、人民が自分の分の責任を果たさないで、優れた誰かに任せてしまったから何だよ」と言う。個人がそれぞれ社会に対して自分の責任を負うべきだ。これが彼の信念である。従って、衆愚政治に悩みつつも、民主主義者でしかあり得ないのである。
 ラインハルトが野望を遂げるまで、三つの体制の思惑がからみつつ、数々の戦闘が二人の天才の間に交わされ、それに絡んで大勢の脇役が様々の個性を見せつつ活躍する。
 全体の感想というわけにはいかないので、ラインハルトと姉アンネローゼ、ラインハルトの幼友達にして腹心のジークフリートキルヒアイスの関係にだけ触れてみたい。
 赤毛キルヒアイスは、平民の下級官僚の息子である。スポーツ万能、頭も悪くなく、友人に人望も厚い、両親の自慢の少年であった。彼の家の隣に廃屋に近い空き家があった。ある日、そこに尾羽打ち枯らした風体の男が入っていくのを見かけた。隣戸に引っ越して来た人がいるようだと両親につげると、貴族の端くれだそうだと言われた。貴族とは豪華な邸宅にすむ着飾った人達と思っていた彼は驚いたが、その日のうちに会った隣の姉弟の余りの美しさにやはり「貴族」と納得してしまう。
 豪奢な金髪の、彼と同年配の少年が隣の庭から、「やあ、僕、今日越してきたんだ。君は名前は何というの」と声をかけてきた。名乗ると「ジークフリートなんて俗な名前だ」と臆面もなく言い放ち、「だけど、キルヒアイスはいいね。僕、君をキルヒアイスと呼ぶよ」と云うのである。あっけにとられ返事もしないうちに、弟を探しに姉がやってきた。天使が舞い降りたかのような美少女である。弟が彼を紹介すると「じゃあ、ジークと読んでもいいかしら。ジーク、弟と仲良くしてね」と、木漏れ日のような微笑を浮かべて言われた。
 こんな美しい人に何か頼まれた事に感動し、言葉も出ず、ただ頷くばかりであった。それからは、この姉の頼みに応えることが心からの願いとなる。
 ところがラインハルトは、その美貌に反し不遜で好戦的な性格であった。学校の新入生に制裁を加えようとする上級生に呼び出され、キルヒアイスが助けに駆けつけた時には、すでに相手を石で殴りつけて敗走させ、悪びれもしないのであった。だが、相手の血が服についていることを指摘されると、姉を心配させると暗い顔をする。母を早く亡くし、生活破綻者の父しかいない姉弟は、互いに支え合い寄り添って生きていたのだ。キルヒアイスクは遊んでて公園の噴水に落ちたことにすれば良いと提案し、二人で実行する。アンネローゼに服を乾かして貰っている間、ラインハルトと同じ毛布にくるまり、ココアを御馳走になる。こうして親友となり、隣戸に入り浸るようになった。
 そんなある日、突然アンネローゼが皇帝に召され、隣戸は再び空き家になってしまう。少年は、姉弟との別れに泣いた。約1ヶ月後、軍幼年学校の制服を着たラインハルトが訪ねてた。「軍人になって、早く姉上を解放したいんだ。だけど、学校は嫌なやつばかりだ。君、僕と同じ学校にはいって一緒に軍人になろう」と言うのである。軍幼年学校はエリート校であり、入学できるのは貴族や金持ち市民の子息に限られていた。しかし、ラインハルトの熱望と後宮のアンネローゼの力により、入学が認められ、首席・次席の成績で卒業。それ以来、ラインハルトと離れたことがない。
 ラインハルトは、最愛の姉を皇帝に売った父を憎み、姉を奪った皇帝を憎み、傲慢な貴族達を憎み、そうした腐敗した帝国体制を覆す野心を抱くようになる。キルヒアイスも同じ心からそれに同調するが、野心ではなく正義と公平の大義からである。アンネローゼへの少年の日の憧れは、より深くより真剣なものへと成長していた。
 皇帝が逝去し、アンネローゼは弟を実家として戻ってきた。帝位争いが生じ、ラインハルトは帝国軍総司令官となり文官トップの貴族と組んで幼帝を擁立。それに異議を唱える有力貴族連合軍を賊軍として征伐、勝利する。だが、有力貴族が領地反乱を核爆発で弾圧する事を知りながら、それを阻止することを怠ってしまう。参謀長がそれを反貴族の宣伝材料とする事を勧め、迷ってしまったのである。
 辺境地域制圧を果たし、ラインハルトのもとに帰還したキルヒアイスがそれを批判すると、良心の引け目から激怒し、キルヒアイスを同志ではなく唯の部下として退ける。そして、そのまま戦勝式典に臨む。式典で、ラインハルトにテロの銃弾が向けられ、彼を身を以てかばってキルヒアイスは死ぬ。「ラインハルトさま、宇宙を手に入れて下さい。そして、アンネローゼさまに、ジーは昔の誓いを果たしましたと伝えて下さい」というのが最後の言葉であった。ラインハルトは闇に落ちる。
 キルヒアイスの死を知ったアンネローゼは、ラインハルトとの別居を望み、志達成まで互いに会うまいと告げる。ラインハルトが「キルヒアイスを愛しておられたのですか?」と尋ねると、無言の悲哀に満ちた表情で応える。
 さて、アンネローゼはキルヒアイスを愛していたのかどうか考えて見る。最初の出会いで、「弟と仲良くしてね」は、殆ど社交辞令である。しかし、廃人同様の父と5歳下の弟しかいない孤独な少女にとって、弟の友人は唯一の外からの光であり希望であっただろう。家に訪ねてきた彼と弟と三人で囲む夕食や、彼らをもてなす為にケーキを焼いく一時は、まるで幸福な家族のような笑顔溢れる時間であったに違いない。
 皇帝の妾として後宮に入ることも、愛する弟や父の生活を支える為と意味を見出し耐えたであろう。キルヒアイスを幼年学校に入学させたのも、ラインハルトに心を許せる友を与える為であった。弟を愛し支えること、それだけが彼女のささやかな生きがいであった。
 しかし、ジーク(彼女だけのキルヒアイスの呼び名)のラインハルトへの献身は、それを介する自分への献身であることを、聡明な彼女は気づいていた。弟とジークが帝国元帥とその副官となって訪ねてきた時、弟に用事を頼み、ジークと二人だけの機会を作り、彼女は云う。「弟は大きな才能があるの。でも、足の強さを誇って崖から飛び出してしまう羚羊のように、その才能の為に闇に飛び込んでしまう危うさがある。それを知っているのは、生まれたときから弟を知っているからなの。ジーク、どうか弟を見守り、そんなことから守って頂戴。あなた以外には、私には、こんなことをお願いできるひとは他にないから」。
 それは、ジーク唯一人を彼女が頼みとするという(例え弟ラインハルトでも)という告白であった。青年は感動をやっと抑えて「御意にしたがいます」と答える。
 男というものは、心から信頼され委ねられた時、最大の喜びと幸福を覚えるものである。キルヒアイスの最後の言葉「ジーは昔の誓いを果たしました」は、自分をアンネローゼだけの呼び名で云い、ラインハルトへの献身は実は彼女への献身であることを告白している。自分を部下扱いしたラインハルトへの恨みなど、少しもありはしない。自分に信頼してくれた彼女の信頼に応えることができて、彼は幸いな死を死んだのである。
 アンネローゼにとって、弟への愛と気遣いの裏にはジークへの愛と信頼があった。5歳年長、しかも後宮の女であった身である。自分からは望み得ないけれど、いつかは憧れを脱して、自分を女として求め、愛と保護を与える力強い男性に、ジークが成長することを夢見なかったとは言い切れないであろう。
 彼の死は、それを断ち切った。うちに隠した密やかなジークへの愛なしに、もはや弟ラインハルトを今まで通りの愛し方で愛することはできないのである。野心を達成し終えた時、弟もこの虚無に直面するであろう。彼女が味わっている虚無に、弟も直面した時、はじめて闇の中で二人になり互いを理解し合うことができるだろう。それが、弟との別居・別離の言葉でなのである。
 この小説には、様々な男女の関わりが出てくる。だが、アンネローゼの、弟への愛に隠したジークへの愛が、表だって表現されないだけもっとも哀切で心に残るものであった。