inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

魔道祖師-3

 前回ヒロイン籃湛を取り上げたので、主人公魏嬰についても書いてみたい。魏嬰一筋で分かりやすい籃湛と異なり、魏嬰はかなり複雑である。
 日本で家族制度が廃止されてからかなり経ち、今の私達はほぼ個人の意識で生活している。だが、中国は氏族社会としての永い歴史を持ち、いまだに血縁を重んじる伝統が色濃く残っている。「魔道祖師」の舞台も、古代中国をモデルにしているから、氏族・血縁が人間関係の基本である。例えば、温氏は本家のほかに多くの分家をもち、分家が本家を支えて圧倒的な勢力を保っている。それに比べて新興の江家は分家がなく、必然的に宗主の力量が勢力の決め手となっている。だから、江家は姻戚関係強化に努めねばならず、また強力な門人育成にも力が入る。才能豊かな魏嬰を、実子同然に養育したのもこのためでもある。だがその妻は、夫が魏嬰を実子江澄以上に評価することが気に入らず、悉く魏嬰に辛くあたる。複雑な疑似家族関係である。
 だから魏嬰にとって、僅かな間であっても籃家座学に参加したことは大きな体験であった。はじめて氏族・血縁関係から解放され、個人としてのびのびと友人を獲得することができた。そこで出会った籃湛に、対等のライバルを意識する。しかし、実はそれ以上に、籃湛の美貌と精神的な雰囲気に惹かれていたのである。しかし彼は、まだ自分の気持ちを深く考えていない。籃湛が気になるのは、友人としてだとしか思わない。だから平然と、籃湛の前でびわ売りの少女や「綿々」をからかったり、気を惹いてみたりするのである。
 だが江家滅亡事件が起こる。死を前にした宗主夫妻は江澄に江家を託し、魏嬰には「死んでも、江澄を守れ」と命じる。しかし、江澄は仙力の源である金丹を失い、仙家としての江家再興が不可能となった。魏嬰は自分の金丹を密かに彼に移植する決心をする。それは、仙師としての自分の死を意味した。だが彼は、自分の全てを献げて江家への恩義に応えたのである。
 しかし彼が生きる道は、やはり仙真界以外になかった。だから、霊力(仙力)がなくとも操れる魔道によって、復帰したのである。そして、邪霊を招く招陰旗、邪霊の居場所を示す羅針盤、その他数々の発明をする。なかでも、怨念を喚起する「陰虎符」は、まるで原爆を想起させるような恐るべき威力を有した。全仙家が「陰虎符」獲得を狙うようになったのである。
 しかし魔道は、それを操る者に対しても破滅的に働く。魏嬰は、以前の明るさを失い、敵に対し残忍、味方であっても気に食わない者に過激に反発するようになる。霊力を失ったことを隠し、魔道を諫める籃湛とも気まずい間柄となる。そして、悲惨な最期を遂げる。
 しかし、彼が現世に復帰することを待つ者が二人いた。江澄と籃湛である。江澄は、氏族社会からみればよそ者である温氏残党をかばって江家を出て行った。彼の行動を裏切りと感じ、また姉の遺児を孤児にしたことに、激しい恨みを抱いたのである。これは、氏族社会で生きる者の義理と人情からいって、当然の感情である。
 軟弱なゲイボーイの身体に復活させられた魏嬰は、前世とは縁を切り、別人として生きるつもりであった。だが、実力は隠しようがない。屍を操る彼をみた江澄は、直ちに魏嬰復活を直観し、捕縛しようとする。だが、居合わせた籃湛が彼を保護し連れ帰った。屍を操る笛の音が、魏嬰にしか聞かせた事のない籃湛の愛の調べであったからである。魏嬰自身は正体を知られたことを知らず、第二の人生を生きるため籃湛から逃れようとする。嫌がれせに籃湛にゲイのようにすり寄ったりしてみるが相手にされない。どうしても手放してくれないどころか、彼を大切に扱うのである。籃湛の力と美は、前世にもまして魏嬰を魅了する。
 一方、夜狩り(妖獣・邪霊退治)に関する魏嬰の実力は隠しようもなく、籃湛と一緒に事件を解決していくうちに、籃家の弟子達から好一対として扱われるようになる。江家にもはや居場所のない彼に、新しい家のようなものができた。しかし依然として、江家同様に籃家でに彼は「よそ者」に留まっている。
 魏嬰は、自分に対する籃湛の気持ちが単なる友情ではない事に気がつき始める。それを確かめたいが、答えを知るのも恐ろしい。まさか自分が、彼から本当に熱愛されているとは信じがたかった。だが、酔った籃湛の前で、魏嬰の気持ちに火がついてしまった。ついに一線を越えたのである。だが、酔いから醒めた籃湛を慰めるつもりで「男なら、こういう間違いはたまにある」と言った事がまずかった。籃湛は怒って彼を突き飛ばした。
 飛び出した魏嬰は、敵に捕らえられてしまう。そして、同じく捕らえられていた籃湛の兄から、籃湛が正気を失った前世の彼を命がけで守ったこと、魏嬰への一途な愛を告白して一門から制裁を受けたこと、彼の現世復帰を待ち続けたこと、などを聞く。
 籃湛の怒りは、「間違い」ではなく「本気」で、自分が一門の者に告白したように、恥じずに正面から、自分を求めて欲しかったからだった。修真界においても属する氏族においても、魏嬰はいつも、どこか「よそ者」であった。だがついに彼は、籃湛の胸の中に、あるべき自分の居場所を見出したのであった。
 彼らを救出に来た籃湛に、魏嬰は直ちに大声で告白する「さっきは、本気でお前とヤりたかったんだ。俺が欲しいのは、お前だけなんだ!」。周囲の敵も味方も赤面した。だが、籃湛は魏嬰を抱きしめ、彼の涙が魏嬰の首の辺に「幻のように音もなく落ちて、そっと消えた」。
 どんな社会にあっても、社会の成員としての義理や人情からではなく、全くの個人としての愛を生きるのが人間の本当の幸いではないか。いまだに同性愛に対する嫌悪や軽蔑が残っている私達の社会にあって、同性愛者が自分達の愛を恥じずに告白することは勇気が必要である。彼らに人間としての敬意を払い、不当に差別することはあってはならない。
 なお、兄弟として愛し合っていた江澄の魏嬰への憎悪は、読んでいて辛い。だが、彼も魏嬰の献身を知るようになる。彼の体内には魏嬰の金丹があり、彼を支えている。魏嬰は彼を捨てたのではなく、彼が生きる限り一緒にいることを理解するであろう。ハッピーエンドである。

 「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて、ドミトリーから父を侮辱された少年の心情を思って気持ちが重くなった。それに比べて無邪気な「魔道祖師」の世界でバランスをとっている。