inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

カラマーゾフの兄弟-3

 長男ドミトリーは、この作品の中で一番わかりやすい人物である。彼は、父親の生への情熱を受け継いでいるが、金銭欲はそうではない。母親がそうであったように、自分の情熱のままに生きる独立不羈な性格である。母親の遺産を受け取るために帰郷したら、父親がそれまで送金した金と引き替えに、一切を横取りしていたことが判明した。ここで、弁護士でも依頼して取り返す算段をすべきであるのに、美女グルーシェンカに出会ってしまったのである。その惚れかたはまさに「曲線美」。雄としての情欲丸出しであるけれど、悪いことに、父フュードルも同じく彼女に参っていて、金銭的争いではなく、女を巡る父子の闘争になってしまった。女さえ手に入れられれば、金銭なんてどうでもよいのであり、ドンチャン騒ぎでグルーシェンカを喜ばすために、許嫁のカテリーナに預かった三千ルーブルまで手をつけてしまう。当然自分が受け取るべき母親の遺産も、父が死んだ場合の遺産についても、頭に浮かばない。文字通りグルーシェンカに狂ってしまった。
 父親が、三千ルーブルの現金を餌にグルーシェンカを呼び寄せようとしていると聞けば、父親の家の隣家で彼女を見張って、そうはさせまいとする。そこを下僕のスメルジャコフがつけいった。脅されたと称して、女が来た場合の合図を彼に教える。もし彼が家に押し入ってフュードルを殺害したら、家に入る合図を彼は知っていたと証言する為である。着々と、ドミトリーの父殺しのシナリオが準備をされていく。
 グルーシェンカが自分を騙して外出したことを知ったドミトリーは逆上して父宅に向かう。塀を乗り越え、教えられた合図のノックをして窓が開き、父親が女が来たと勘違いして呼びかけるのを聞いた。「では、ここには来ていないんだ!」、彼は父宅から急いでグルーシャンカ宅に引き返す。父宅から逃走する際に下男のグレゴリーを殴り倒したが、構っている暇はない。「彼女はどこだ!」だけしか頭になかった。
 グルーシェンカ宅で、彼女の外出は昔の恋人と駆け落ちするためであったことを知る。彼女は5年前に自分を捨て別の女と結婚した初恋の男を決して忘れなかった。そしてその事をドミトリーにも隠してはいなかったのである。この瞬間、ドミトリーは理解した。彼女も、自分と同じ情熱に生きる人間だという事を。彼女のその男を愛する情熱は、そのまま自分が彼女を愛する情熱と同じではないか。自分が彼女なしに生きられないように彼女も、今までの行きがかりはどうであろうと、その男を愛さずにいられないのだ。では、自分は身を引くしかない。だが、もう一度ドンチャン騒ぎしてグルーシェンカの愛を祝福し、その上で死のうと決心する。
 カテリーナから預かった三千ルーブルは、実は半分残っていた。グルーシェンカと駆け落ちする費用として残しておいたのである。これをドンチャン騒ぎに遣う。自分が死ねばいささかの母親の遺産で、弟達がなんとかしてくれるだろう。とにかく、逢い引きの宿へと、宴会の材料と自殺用のピストルを積んでトロイカを飛ばす。
 澄み切った夜の大気の中、自分に絶望しきった彼は、はじめて周囲の世界の美しさに感動する。そして夢を見る。凍えて植えた赤ん坊が泣き叫んでいる。だが、赤ん坊を包み乳を与える者は誰もいない。この世界の中に、こんな可哀想な奴に手を差し伸べる者だれもいないのか!自分抜きでグルーシェンカの愛に共感した彼は、自分以外の他者の存在に気づき共感することにも目覚めたのであった。
 「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」とある。情欲的な愛であっても、自分と他者を愛することは、人類愛に繋がる根本である事を作者は語っているのだろう。