inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「人生は小説よりも奇なり」(原題Love is Strange)

 たまたま、題名に惹かれてレンタルしたDVDである。それは、熟年同性婚カップルの物語であった。
 あらすじは以下の通り。「ニューヨーク、マンハッタン。39年間パートナーとして同居してきた画家のベンと音楽教師のジョージは、同性婚が法律上認められて晴れて結婚式を挙げた。親せきや友人たちに祝福され、幸せの頂点にあった。ところが、ジョージは永年勤務していたカトリック系学校を同性婚を理由にクビになってしまう。パートナーのベンは71歳を過ぎた年金生活者であり、ジョージの収入がなければ住宅ローンを払いきれない。住居を売却し、二人で暮らせる住まいが見つかるまで、それぞれ別々に親戚宅に居候するしかなくなってしまった。居候先でもそれぞれ家族の事情があり、邪魔者であることを痛感せざるを得ない。その上、ベンは階段から落ちて骨折し、なお居辛い状況になる。ジョージは堪らなくなってベンに逢いにいき、涙をこぼす。
 なんやかんやあって、やっと二人で暮らせる家が見つかる。だが、それから間もなくベンは世を去ってしまう。」
 感想、①やはり、同性愛は厳しいと言うこと。離ればなれの二人がデイトで酒場に行くシーン。1966年、この酒場が同性愛カップルに酒を提供することを拒んだことに抗議して新聞沙汰になった事があった。ベンは俺がその抗議した当事者だよ、と嘘をいってバーテンをからかう。同性愛が受け入れられている今は夢のようだと語る。事実その通りの歴史があったのだろう。71歳というとほぼ私と同年代である。このカップルが39年連れ添った間、どんな差別やいじめに耐えてきたかを思いやった。だからこそ、お互いが愛しいのである。晴れて同性婚が認められたといっても、カトリック系職場ではそれを理由にクビになって了うのである。個人の性的傾向を理由にしてクビにするなんて、永年働いてきた職場として、あまりに情のない仕打ちではないか。ジョージは教え子の親達に、同性愛の結婚式を挙げたことは、永年連れ添ったパートナーに誠実を示す為であったと、聖書を引用して手紙を書く。「愛は…不義(不誠実)を喜ばずして、真実を喜ぶ」(コリント第一の手紙13章)。だが、既に後任の音楽教師が就任してしまい、復職は叶わなかった。
 また、彼らに理解を示した親戚達も本音はやはり同性愛を差別していることを痛感せざるを得ない。ベンが居候している甥の家庭でも、息子が同級生の一人(男の子)と特に親密になっていることを心配し、付き合いを禁止するのである。同性愛の厳しさを考えれば、親として自然な感情なのかも知れない。だが、そういった無意識の差別に、ベンも、同性への淡い初恋を踏みにじられた息子も傷つくのである。
 ②一方、こうした差別や迫害を乗り越えて39年も支え合ってきた二人の愛の素晴らしさである。異性同士の結婚では必ずしも愛だけで結ばれるのではない。性的欲望の充足という部分は同性愛・異性愛の違いはないけれど、同性愛では子供が生まれない。子供がいるということは、なんと言っても人生の喜びである。そして、「子は鎹(かすがい)」の諺のとおり、多少連れ合いに不満があろうとも「この子の親だから」と辛抱する。またお互いに子供を愛する気持ちは同じと共感するのである。しかし子供が生まれない同性愛は、こうした結びつきや喜びがない。また、とくに日本では、女性は男性と比較して経済力がない。私の年代では結婚を「永久就職」と呼び、子供を産み家事を負担することで男に養って貰うという意識があった。女が独身を貫くのは、経済的に大変である。だから、夫に不満があっても、生活や子供のために結婚生活を続ける女性が多かったし、現在でもそうであろう。また、たとえ純粋に愛情のみで結ばれたとしても、次第に心が離れてしまう場合もある。これは、同性婚も異性婚も同じであるけれど、このカップルは39年間も愛情が持続したのである。相手を、子供を作る道具や家政婦、あるいは生活費を稼いでくるという役割を果たす者としてではなく、純粋に人間として愛し大切にしてきたからであろう。自分の連れ合いに対し、こうした愛情と敬意を持続できるカップルは少ない。
 ③それでも、分かれる時が来る。経済的に二人の生活が続けられなくなる場合もあるし、何よりも老いと死である。年下のジョージを温かく包んだであろう「理想の夫」のようなベンは、結婚式を挙げた時点で眼鏡をなくしたり、結婚式場に急ぐのに息が切れたりして老衰が始まっていた。そして、やっと再び同居できるようになって直ぐ世を去ってしまう。私達の年代で言えば、死別する前に連れ合いが病気や老衰、認知症などで介護が必要な状態になることが多い。愛すればこそ相手のそう言う姿を見るのは悲しい。そして、死別して取り残された寂寥感は身にしみるのである。
 以上、ほぼ自分と同世代の同性愛カップルの物語を観て、お互いの誠実な愛情がうらやましく、同時にもの悲しい気持ちになってしまった。