inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

蘇東坡の詩より、「当年の二老人、我が此の音を作るを喜びたまえり」

 心筋症の退院直後、突然、左右の目の焦点が合わない急性内斜視になってしまった。スマホを見過ぎた若者がよくかかる症状だそうだが、スマホもPCもそれ程見続けたわけでもない私がそうなった原因がよく分からない。働いていた頃には、毎日六時間以上PCを見続けていたのに何ともなかった。せいぜい日に三時間程度のパソコン作業や読書で急性内斜視になるとは、衰えたものだと嘆いている。
 楽しみにしていた小説も文庫本なので、字が小さくとても読めない。仕方なく、大きな字の軽い本をと、詩歌の解説を探した。たまたまネットで「腹有詩書氣自華(腹中詩書あれば,気自ずから華やぐ)」の句を見つけ、蘇東坡の漢詩の一節であることを知ったので海江田万里著「蘇軾ーその詩と人生」を選んで、主に詩の解説をパラパラ眺め読みした。

 私は漢文に弱く,友人の書家が揮毫した漢詩などは拝見する前にできるだけ予習して内容が分かるようにしている。だが、直接読み解くことはとてもできない。蘇東坡にしても、東坡肉という料理を考案したとか、「春宵一刻値千金」の詩の作者だ程度しか知らなかった。だが、科挙首席合格の秀才でありながら政争に巻き込まれ、幾度も投獄、左遷、流刑を経験し、その度に立ち直り内面的に強くなっていった事を読み、その人となりに惹かれるものがあった。著者の海江田氏は政治家であるから、漢詩の解説もごく軽いものだろうと思っていたが、ご自身が落選の憂き目に遭い、蘇東坡の書と詩に励まされた経験から、内容的にかなり味わい深いものがあり楽しんで読むことができた。
 私が心惹かれたのは、最後に海南島に流刑になった時に作った「陶の郭主簿二首に和する 其の一」である。零落の身を嘆くのではなく、しみじみとした家族愛が感じられて美しい詩である。内容は簡単に次の通り。「清明節の日に(流刑に付き従ってきた三男(当年26才)が詩を暗唱するのを聴いている。それが琴を鼓するが如く美しく響く。それを聴いていると,40年前に自分も同じように父と祖父の前で史書を暗唱したことを思い出す。家は代々古典研究に熱心であり、史書も祖父や父が自ら注釈を加えた本を読んだものだった。当時の父も祖父も、私が朗読する声を聴くのを何よりも楽しみにして下さった。そう回想すると自ずから、現在は会えない二人の孫(三男の幼い息子達)のことが思い出される」。有名な詩だそうだから、ご存じの方も多であろう。だが私ははじめて読んだ。老いを自覚し、親の年を超えた今になって、ようやく親の慈しみを理解し、子や孫の存在を喜ぶ気持ちにしみじみと共感したのである。
 中国三千年の歴史の中で,他にも色々素晴らしい漢詩があることであろう。もはや、そのほとんどを知らないまま世を去っていくのであろうが、例え僅かでも心をうつ詩に出会えた事を感謝したい。また、もし機会があれば蘇東坡の書に出会えることを夢見ている。その為にも、なんとかさっさと視力を回復したいと願っている。