inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

銭鐘書著 「結婚狂詩曲」(原題「囲城」)感想

「天官賜福」その他近頃中華BL小説を楽しんでいたので、参考までにと軽い気持ちで本書を入手した。非常に面白く夢中になったところで体調を崩し、視神経もやられて文庫本文字が読めなくなり、やむなく中断。やっと、8月に入って読み終わった。
 感想は一言では言えない。まず①圧倒的な「中華3000年」伝統文化の重み、②それに押しつぶされそうな「近代的自我」、③全てを相対化する知性を持ったが故の知識人の孤独感とペシミズム等々、重たい問題に圧倒されながら、ドン・キホーテを読んでいるように皮肉とユーモアに溢れていて、夢中になって読んでしまった。一言で言えば、「面白かった!」だが、それで済ませないで、まとまらないなりに感じたことを書いてみたい。
(1)中国人女性の愛の形
 舞台は1937年(昭和12年)から1939年、日中戦争の及び第二次世界大戦開始の動乱の時期の中国である。だが、そうした社会情勢は背景に留まり、どんな時でも生き抜かねばならぬ男女の絡み合いを描いている。主人公方鴻漸(ホウ・ホンチェン)は4年間ヨーロッパ留学を経て帰国した、庶民の目から見ればとんでもないエリートであり、「焼きたてのパンのように」女達および娘を嫁がせたい家族達の奪い合いの対象である。その面から見て、昔読んだ「紅楼夢」の世界を思い出した。
a.「肉体派」ミス鮑(パオ)
 彼女は、同じく留学した医者であり、その費用を出した許嫁と帰国後に開業する予定がある。いずれにせよ、将来は安定したものだ。だが、自分の性的魅力を発揮して男を楽しむ事に何のためらいもない。医者だからセックスにも開けた目をもっており、下手な貞操観念もない。それでいて、自分で主人公を誘惑し、キスさせておきながら「あら、私を愛してるなんて一言もおっしゃらないのね」などと言う。男も「あなたを愛してるんじゃなくて、欲しいだけ」と思いつつ、適当に応答。ベッドインまで持ち込む。しかし帰国間近になると、以後の生活を考えて、急に態度が変化。あっさりと主人公を放り出して許嫁の胸に飛び込む。主人公は遊ばれただけである。「獣皮の手袋」派。
 色々批判はあるだろうけれど、こう胸もすく現実的対応には喝采を送りたくなった。
b.ミス蘇(スウ)
 同じく帰国船で乗り合わせた才女。フランスで中国近代詩の論文により学位取得した女博士。出身も、四阿がある洋風庭園をもった名家の出身であり、一部の隙もない身なりと教養を備えた令嬢にして閨秀詩人でもある。留学の目標を達成した上は、次に自分にふさわしい連れ合いを獲得せねばならない。方鴻漸は知的レベルは申し分ない上に地方の名士の息子であり、人柄も悪くはない、何より金回りもよい。彼を標的と定め、つり上げるつもりが、ミス鮑の肉弾攻撃にはあっさり負けてしまった。だが諦めない。ミス鮑下船後に近づいてデイトを果たし、デイト後も彼のハンカチを洗ったりボタン付けしたり、女らしい気遣いを押しつけてなんとか攻略しようとする。
 一方の鴻漸、余りに自分をつり上げようとする見え見え意図に怖じ気をふるう。確かに、女友達としては最高だが、すこし年配で、女に対する自分の理想(可愛い女の子が好きなのだ)に合わない。もし捕まったら、自分を崇拝させ支配しようとするだろう。
 確かに、彼女の恋愛の理想は相手が自分に夢中になり崇拝しきる事であった。身分は申し分なく、眉目秀麗、教養も国内随一である自分なら、当然そのように崇拝される値打ちがあり、また知的に相当以上の彼にふさわしい女だと確信している。帰国後も彼が彼女を訪れ、関係が結婚に発展することを希望する。ただ一つの心配は、彼のパトロンである銀行頭取(周家)が彼の縁談をまとめることであった。自由恋愛によってではなく、親が決めた家同士の縁組みが、当時は最も孝順でありまともな結婚の形であったからである。
 旧式社会の名士である彼の父親も、近代的なものに一応の理解は示しつつ、「嫁は当家より下の家から、嫁ぐなる自分の家より上の家に」といった考えの持ち主であり、女博士など西洋人には釣り合っても、方家の嫁になど向かないとハッキリ言う。鴻漸の「恋愛」の理想も、やはり男がリードしてか弱い女を保護し従属させる昔ながらパターンであり、ミス蘇を「愛していない」と自覚している。
 周頭取とその夫人は、彼がこれはと思う女がいたら自分達の養女にした上で彼と結婚させ、要するに鴻漸を自分の家に取り込みたい意図がある。鴻漸は、あっさり周家に取り込まれるのも癪だし、退屈の余り思い切ってミス蘇を訪問してしまう。
 パトロンの言いなりに縁組みを進めていると思い込んでいたミス蘇は、最初はひどく冷たい。だが、誤解だと分かると態度を一変させ、自分の家のサロン(上流名士が集まる)に紹介し、下にも置かない態度で彼をまた追いかけ始める。
 この時の会話がまたひどく面白い。鴻漸は自分が偽学位を買ったことを道化師世渡り、周家に世話になっているのは対俗妥協だと述べ、自分の帰国を報じる新聞記事を見てあなたが僕を軽蔑するだろうと思ったから訪問できなかったんだと正直に告げる。すると彼女は周家を「金を出したら品物が渡されることだけ知っている」俗臭紛々たる商売人と評し、「学問が看板(博士号など)に頼れないことなんか分かるはずないわ!」と言ってのける。だが一方、そんな妥協的世渡り態度では誰に対しても真実ではないだろうから友人として信用おけない、と言うのである。彼女の知性が本物であることが、これで分かる。
 鴻漸の知性と教養も負けてはいない。彼女が自作であることを隠して提示した詩を、ドイツ古民謡からの剽窃と見抜く。ひけらかさずとも、彼の広範囲の教養を見せつけてしまう。この小説の著者は8ヶ国語に通じた大学者だそうだから、主人公もそれだけの実力はある人物に描いている。サロンでの会話における衒学趣味も結構楽しめる。
 サロンで、結婚は黄金の鳥籠のようなもの。外にいる間は中に入りたいと憧れるが、いったん中に入ってしまうと今度はその束縛から逃れたいと願う、というイギリスの言葉が話題になる。フランスでも同じように、それを包囲された城(囲城)に例える。包囲された側は逃げ出したい、包囲する側は攻め落としたい(入り込みたい)。そんな話題が、主人公の心に残る。男女関係だけでなく、近代・西洋的自我と中国封建的伝統とのせめぎ合い、学者としての地位を巡る競争など、全てそうではないか。ベールギュントではないが、タマネギの皮をむくように空しい。このペシミスティック意味を含んだ「囲城」が、この小説の題名となっている。
 鴻漸は、自分を捕まえようとする彼女の征服欲からなんとか逃げ切ろうとしつつ、サロンの知的雰囲気に惹かれて通い続けてしまう。彼女の彼への意欲(あえて愛とは言わない)は、征服欲である。いったん征服したならば、歯牙にもかけず次なる目標へと向かうであろう。それは、昔から彼女に夢中になっている趙辛楣に対する態度に現れている。趙辛楣は家柄といい現世的地位といい教養といい全く欠けることがなく、なんら鴻漸に劣らない人物である。だが、彼女は一顧だにしない。
 主人公とミス蘇の絡み合いが、男女関係については一番面白い。関係が破綻するのは次のような次第である。ミス蘇が自分の従姉妹として紹介した若いミス唐に、主人公が惚れ込んでしまうのである。若く美貌であり、素直な彼女との恋は進展する。だが、ミス蘇の魅力(知性と美貌、およびサロン)も捨てがたく、ついキスして彼女に「落とした!」と誤解されてしまう。直ちに、別人を愛しているとの手紙を書いたが遅かった。怒ったミス蘇は腹立ちのあまり、従姉妹のミス唐に彼のふしだらさ(ミス鮑との関係、偽学位を買ったこと、周家への隷属妥協など)一切をぶちまけてしまう(勿論、ミス唐と鴻漸の恋は知らない)。かくして、ミス蘇との関係と同時に、初恋だったミス唐との関係も破綻してしまった。
 読者としては、ミス蘇に同情したくなる。では彼女はどうなったかというと、昔から自分を愛している趙辛楣ではなく、手もなく彼女に参っている無能で不細工な詩人と電撃結婚するのである。一つは鴻漸への当てつけでもあろうが、彼ならば、ひとかどの男である趙辛楣と違って完全に自分の支配下におくことができるからであろう。その後は、剥き出しの本領発揮、夫を支配下におきつつ知的名士としての社会的地位と、闇物資を扱ったりする世俗的実力を発揮するやり手ぶりを見せつけるのである。要するに、彼女が愛したのは自分自身であり、相手の男ではなかったのである。
 彼女を愛していた趙辛楣は、彼女の結婚式に出席してあまり悲しくもないことに気づく。彼もまた、彼女の人柄ではなく彼女の知的容貌と雰囲気を愛していたのである。かえって、同じく失恋した鴻漸と男同士の友情を深めていく。
 ミス唐については、取り上げるほどの描写はなく、若く頭のいい美人(要するに男なら好きになるタイプ)としてしか読者の印象に残らない。
c.ミス孫
 戦火が激しくなり、中国の大学は全て合同して奥地に疎開した。だが教員が全てついて行くとは限らないので、奥地まで来てくれる教員が足らなくなった。趙辛楣は恋敵を追っ払う目的で鴻漸を推薦。だが、政局が変わり役人としての地位を失ったので、結局、自分も教員として(彼もアメリカで政治を学んだ留学組である)同行することになった。彼の部下の娘がミス孫である。大学を卒業して職がないので、彼らと同行して奥地の大学に就職する事になった。奥地に同行するのは彼らだけでなくほかに二人おり、彼らが難行苦行しつつ大学にたどり着く話は、甚だ面白い。
 ミス孫は、趙辛楣と鴻漸にとって世話してあげねばならない「女の子」にしか過ぎない。だが、この少女がまたしたたかなのである。まるで何も知らない子供のようなふりして、男の保護意識をそそり、奥地大学での狭くて限られた人間関係の中で鴻漸に接近する。そして、鴻漸と婚約間もないという根も葉もない噂が両親の元に届き、両親から問い合わせの手紙がきたという「嘘」まででっち上げる。「勿論、そんな無責任な噂は否定するけど、周囲の人達が私達の関係をそう見ていると思うと、つらいの」などと彼にいう。二人で親密げに話しているのを目撃した人達が冷やかすと、恥ずかしがって彼の腕にすがりついて見せる。周囲が「やあ、ご両人ご婚約おめでとう」と意地悪でいった冷やかしを逆利用し、彼から「それでもいいじゃないか。君さえよければ僕は構わないよ」と婚約の言質を取ってしまう。美人でもなく、特段の家柄も学位もない彼女が、主人公をつり上げたのである。
 彼女は鴻漸を愛している。だが、中国的女の愛について、私には大いに勉強になった。それについては、別に感想を書いてみたいと思っている。