inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

「結婚狂詩曲」(原題「囲城」)感想 おまけ

 (3)ミス蘇(蘇文紈=スウ・ウエンワン)
 小説読了後、直ちに感想文を書いてそれで終わらせるつもりだったが、登場人物の中で唯一人、彼女だけが心に残り思い返されたので追記を書くことにした。
 主人公鴻漸の関係が破綻に終わったと知った時、彼女はたいした人物とも思えない詩人と電撃結婚する。昔から彼女を愛していた趙辛楣には目もくれない。私は感想文で、彼女の鴻漸への思いを愛ではなく「征服欲」と言い切ってしまったが、実はそうでもないと思い直している。
 彼女の知性は本物であり、知的である故に、自分の才能と知性を理解してくれる人が少ないことも自覚している。趙辛楣は同程度に知的な人物であるが、彼の思考は政治や倫理という現実世界の方向に向いており、詩や文学といった内面世界の方向での感覚を彼女と共有してはいない。鴻漸は、確かに自分と違って学位(博士号)取得に意欲を示さなかった。だが、「学問が看板(博士号など)に頼れない」ことは、彼女自身それを取得しているからこそ身に沁みて感じているのである。だから、そうしたものに超然とし、かつ不気味なくらい広汎な見識を備えている(らしい)方鴻漸に興味をそそられた。これも題名「囲城」の、城の中にいる者が外に憧れるという一例であろう。
 鴻漸の知性がやはり本物であることは、彼女の詩をドイツ古民謡の剽窃と見破ったことからも推測できる。彼女に剽窃したつもりはない。だが、似たようなフランスの古民謡の影響から詩想を受けたことは間違いない。外国文学専攻の自分が気がつかなかったようなドイツ民謡の内容を把握していた鴻漸の敏感な感覚(勿論、それを知って覚えていた知性)に舌を巻く。自分の詩を貶められて傷つくより、むしろ鴻漸の鋭さを確認発見できた事が嬉しい。彼が自分と同じ方向の才能と知性の持ち主であることを理解したのである。
 こうした感情は、肉感的な情緒である恋とは異なる。むしろ友情に近い共感というべきであろうが、男性同士であればライバル意識に結びつくところ、男女の間柄では「彼を理解できるのは私だけ」といった自信に結びついて、いよいよ彼との結婚に意欲的になってしまう。単に征服したいのではなく、相互に理解し合う関係を望んだのである。
 鴻漸も馬鹿な男である。なんで彼女を選ばなかったのか。彼は一方では西洋的な個としての自我に目覚めていながら、女に対しては伝統的な男尊女卑的感覚(若くて可愛い女の子に慕われ、夫唱婦随の結婚を望む)が残っていて、結婚相手に自分と同程度あるいは同じ方向の知性や感覚をもった人を望む気にならない。何より、若いミス唐と恋に落ちてしまった。

 なお、文紈がやがて結婚することになる詩人の作品を評価すると、鴻漸があんな詩を褒めるとは「あんぽんたんか大嘘つき」と思う場面がある。だけど、彼女は博士論文を書いたのであり、その場合、対象を分析評価する作業が必要になる。その際、従来盛んに研究されてきた大物を対象とせず、むしろ今まで取り上げられることの少なかった、どちらかというと評価の低いか定まっていない対象を選んだ方がやりやすいだろう。だから、「たいして好きでない」ほぼ自分と同時代の詩人達を論文の対象にしたことは想像がつく。そのような彼女が、自作の詩を評価して貰いたがっている詩人の面前で、適当に褒めて喜ばせ、自分の崇拝者を増やすことなどたやすいことである。心の中での評価と、言葉に出しての評価は違っていいのである。

 さて、鴻漸が別の人を愛していると知った彼女は、「知的感覚と才能を共有しあえる人」との結婚に絶望してしまった。一度愛してしまった以上、二度と他の人を同じように愛せるとはおもえない。だから、かえって男尊女卑の逆をいく関係、婦唱夫随で自分が夫を支配下における結婚に飛び込んだ。これは伝統的男尊女卑文化への復讐でもある。頭のよい彼女は、昔から自分を愛している趙辛楣がそんな関係を受け入れないことはよく分かっている。(趙辛楣も、やはり妻として学歴のない、若くて可愛い少女を選んでいる。彼と結婚したとしても、彼女が夢みたような「相互に理解し合える」友人的要素の強い関係には至らなかっただろう)。だから彼女は、もはやそのような「愛」を求めようとはしない。知的名士としての地位を得、生活の上でも名誉と富を得て、そういった面では全く無能であろう鴻漸を見返してやりたい。そして実際、夫を「御家族同伴」の場につれていく「家内」のように扱う、女だてらの租界の名士となっていく。だけど、それで内面的に満たされているだろうか?
 新婚の鴻漸夫妻に再会する場面では、文紈の態度が極端に悪い。鴻漸をかつて心から求めていなかったら(愛していなかったら)、また現在幸せであったなら、こんな態度はとらなかっただろう。もはや詩をものする優雅な気持ちも失せ、猛々しく生きている自分が悲しいから、鴻漸とその妻に当たり散らしたのである。
 しかし、彼女が夢みた「相互に理解し合える」関係は、決して諦めてはいけない理想ではないだろうか。主人公方鴻漸は、どこか著者「銭鐘書」を思い起こさせる。著者の妻は「ドン・キホーテ」を中国語に翻訳し、スペインから勲章を授与された才女であり、その点で「蘇文紈」を連想させる。だが小説と違って、大学時代に著者と知り合い結婚し、戦後の動乱や文化大革命の不遇な時代にも彼を支え続けたと聞く。悲しく終わった小説の世界とは違い、現実に「相互に理解し合う」幸せな結婚があり得た事を信じている。