inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

小説「繁花」を読んで

 「結婚狂詩曲」は、日中戦争の時代の中国の若者達を描いていた。だが、私が一番気になっていたのは、自分と同世代の中国人達のことである。この小説「繁花」の著者は1952年生まれ、共産党員だった父の失脚により不遇の時代を過ごし、文化大革命中の1969年には「知識青年」として地方の農場に下放、1977年やっと上海に戻って工員や事務系職員として働いたそうで、ほぼ私と同世代である。
 自分の信念によって色々な運命の変転にあっても仕方ないと思えるが、彼らにしてみれば親の立場や信念によって思いもよらない過酷な立場に追いやられたのである。彼らが親の世代のイデオロギーや伝統的文化にどんな思いを抱き、また流入する西洋的なものにどんな目を向けていたのかとても関心があった。
 だが、この小説はとても読みにくい。現在の、繁栄した上海に暮らす①弁護士「滬生(フゥショーン)」、②貿易業を営む「阿宝(アッパオ)」、③工場労働者「小毛(シアオマオ)」の三人は少年時代からの友人であり、政治的動乱で別れ別れになっていたがまた上海で再会する。3人が現在に至るまでの、主に女性関係とセックスについての回想シーンが時代も人もバラバラにとりとめもなくはめ込まれており、まとまったストーリーもない。誰の回想か2章分前から読み直さないとよく分からない。そして、結末も暗い。彼らを取り巻く女達が、いかに封建的伝統に拘束され、また性的欲望に支配されているか、また自分の利益の為にセックスや結婚を利用するかを散々読まされ、うんざりしてしまった。全体主義社会の息苦しさは勿論である。読むのなら、明るい気持ちになれるものを読めばよかったと思ってしまった。
 ①滬生と②阿宝は、共産党員の息子として不遇な目に遭ったが、それなりにインテリである。二人は独身で女達の気持ちは聞いてくれるが自分の気持ちを積極的に話そうとはしないといわれ、「男の気持ちなんて、小説でも読んで察してくれ」と言う場面がある。二人とも、女との関係に懲り懲りし臆病になっているのだろう。
 ①滬生は、学生時代付き合っていた梅端という女に(下放された共産党員の息子だから)将来性がないとして捨てられる。また結婚した女は、外国に逃れることを願っており、チャンスをつかみ外国に行って帰ってこない。彼女は離婚を望むが、滬生は意地でも応じず、名目だけの既婚者として過ごしている。
 ②阿宝は、10才くらいの時、同じアパートの一階にいた6才くらいの少女が好きであった。だが、文化大革命の動乱で少女の両親は行方不明となり、少女のピアノまで盗まれてしまう。彼女と年取った乳母と二人だけ残されてしまった。ある日、少女と乳母は突然姿を消す。気味悪いことに彼女は「乳母と二人でお魚になって、野良猫に海にはこんでもらう」夢を見たと阿宝に話していた。おそらく絶望した乳母が、彼女と心中したのだろうと読者は考える。次に、地方に下放された際、同じアパートに住む清楚な少女に淡い気持ちを抱くが、性的関係に神経過敏になった娘の父親から交際を禁じられてしまう。上海に戻って、文化的雰囲気を持った美少女と恋愛関係になるが、少女の親兄弟から身分が違うから付き合うなと強硬に反対されてしまう。さて現在、レストランを経営する美貌の女性と知り合い、関係を持つ。だが、彼女は騙されて下腹部に「ファック・ミー」と屈辱的刺青を入れられた過去があり、刺青は消したが、その心理的傷によって男性との関係に自信が持てず、最後は出家してしまう。以上、悉く女に捨てられて関係構築できない。
 ③小毛は、素直な少年で師匠について拳法を修得する。彼の住むアパートには外国航路の船員の妻「銀鳳」がいた。人柄がよく拳法で鍛えた身体の彼を、彼女は好きになってしまう。彼を誘惑して自分の欲求不満を満たしてしまうが、決して彼を傷つける気持ちはなかった。むしろ、そんな関係が続くうちに彼を愛してしまう。ところが、同じ階にすむ男が、彼女と小毛の一部始終をのぞき見していたのである。そして、外国航路から戻った夫に告げ口をする。夫は、事を荒立てないため小毛の母に、彼を結婚させるか、民生委員に訴えるかどちらか一つを選べと迫った。銀鳳も、未婚で年下の彼を破滅させないため、彼に別れを告げる。告げ口された事を知らない小毛は、彼女の裏切りに怒りつつ周囲に押されて結婚。結婚相手は初婚ではなく出戻りであった。だが、騙されて不具の夫に嫁がされた事を打ちあける。銀鳳に同情したように妻にも同情し、愛し合うようになる。しかし、結婚3年目に彼女は死んだ。
 小毛は、銀鳳と妻との経験から結婚に拘束されつつ性欲に苦しむ女を哀れに思うようになる。夫に満たされない女を受け入れ性的関係を(結婚関係なしで)受け入れる「優しい男」になる。そして、金を貰って法律上の「夫」役まで果たす。(一人子政策下、もう一人産みたい夫婦は、偽装離婚し、妻が別の男と法律上結婚して元の夫との間に子供を設けた上で、また離婚し、妻が連れ子の形で元の夫と再婚すれば、もう一人子供を持つことができた。この性的関係を持たず子供ができたら離婚する名目上の「夫」を引き受けたということ)。
 癌になった彼は、死の寸前、銀鳳と自分との関係がのぞき見され告げ口されていたことを知る。銀鳳が別れるといったのは、裏切りからではなく自分を破滅させまいとする愛情からだったのだ。銀鳳と自分、自分と妻、が愛し合ったのはなんだったのだろう。「空の空、一切は空である」(聖書:伝道の書)。だが彼は思う「ただで受けたのだから、(報いを求めず)ただで与えなさい」(同じく:マタイ伝)。女(銀鳳と妻)との関係もただで受けたのだから、自分も何の報いもなしに与えてよかったと思う。そして息を引き取る。
 以上、私が読み取った主な男性登場人物の感慨である。臆病になり、女に何も与えようとしないインテリ男二人よりも、女達に同情して自分を与えた小毛が一番好きである。
 なお、女性も男性同様、労働する権利と義務を持つようになっても、経済的だけでなく精神的に(そして性的に)親や夫から独立を果たせないようだ。これは、中国だけの問題ではないだろう。自立した人間同士の愛とは、「ジェーン・エア」の時代と同様、現在でもなかなか達成できない事だとおもった。