inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

讃美歌39番「日暮れて四方はくらく」

 前回、日記よりブログの方が、日々の雑感を書き留めるには健康的だと書いた。だがそれ以降、腰痛に悩まされたり、歯の痛みで歯医者に通ったり、定期的な眼科と内科の通院があったりして、何か読んだり考えるより自分の身体のお世話に忙殺されてしまった。加うるに、家庭礼拝で取り上げている「コリント書」も、コリント教会が直面していた困難(分派問題など)が具体的に分からず、現在の私達に引き寄せて考えるのが難しく、お手上げ状態に苦しんでしまった。
 「思えば遠くに来たもんだ」の歌の文句ではないが、自分が年相応に老いていく事、コロナ禍だけでなく、友人・知人達もそれぞれ年配となり、なかなか気軽にお会いできずいつの間にか疎遠になってしまうこと、そして世を去った人達の事など、色々思い出すことが多く、すずろ心で過ごす日が多かった。そんな時、ふと口をついて出てきたのが「日暮れて四方はくらく、わがたまはいと寂し」という讃美歌39番である。夕べの礼拝用の讃美歌と思っていたし、なんとなく寂しげなメロディーで、あまり歌うことのないものであったが、幼い頃から染みついた讃美歌というものは、考えもしないときに口をついてでてくるものである。
 この曲の歌詞は、夕べ礼拝用というより、人生の「かはたれ=彼は誰と聞かねばならぬ夕闇の時」つまり老いと死に向かう者達の歌である。2番は「人生のくれちかづき」ではじまり、3番は「世の闇押し迫りて、いざないの声しげし」であり、人生の終焉に近づいた不安と恐れが歌われている。だが、すべて締めくくられるの「主よ、共に宿りませ」であり、主を呼び求める祈りとなっている。祈りが応えられ、転調するのは4番「死の刺いずこにある、主の近くましまさば、われ勝ちてあまりあらん」である。主が十字架で人の罪と死に打ち勝たれた事を想起したのである。そして最後に5番「十字架のくしき光、閉ずる目にあおがしめ、みさかえにさむるまで、主よ、共に宿りませ」で終わる。主の復活に与ることを希望し、主に自分を委ねて死を迎えようという気持ちが歌われている。要するに、人生における「唯一の慰め」を主題にした歌である。
 「主よ、共に宿りませ」という言葉は、エマオ途上の二人の弟子達に復活のイエスが顕現された際に、弟子達が語る言葉として知られている。イエスの十字架死で失望と懐疑の崖っぷちに追いやられた彼らが、都エルサレムから逃亡しつつ、空虚な墓と女達の証言について様々語り合っていると、見知らぬ旅人に声をかけられる「何を語り合って居るのか?」。彼らの返答に対し、彼は「メシアは必ず苦しみを受け、三日後に甦るべきこと」を聖書に基づいて解き明かされる。すると、消えかかっていた信仰と希望の火が弟子達の心に再び燃え上がったのである。日が暮れて投宿すべき時が来た。だが、旅人はなおも先に進む様子なので、弟子達が一緒に宿り給えと願ってこの言葉を語る。そして同宿した宿の食事の席で、旅人が彼らにパンを裂き分け与えられると、その様子でその人がイエスであることが分かる。すると同時に、お姿が見えなくなった。彼らは急ぎ、エルサレムにたちかえると、主が復活されてペテロに顕現された事をきく。

 若い日に信仰に燃えて入信し生涯キリスト者として過ごして来ても、老いを迎え、教会にも通いにくくなり、自分がやって来た仕事や、親しく交わり生涯を共に過ごした者と別れたり疎遠となり、一人取り残されたような孤独に陥るとき、主が共にいて下さるという事に気づくのは、なんという慰めであろうか。
 老いの孤独を歌う歌は多くあれど、讃美歌39番の締めくくりは全てエマオの弟子達の言葉「主よ、共に宿り給え」と、主を慕う言葉で終わっており、希望を失っていない。その心は、失望や懐疑の状態から、聞かされた聖書の言葉によって慰められ、再び信仰に立ち返ろうとしている。一緒に居て下さいと願う言葉には、慰めと励ましを与えて下さる主を信頼し慕う心が溢れている。
 人生の夕暮れ時、例え肉眼は衰えても心の目は、復活のイエスが開いて下さった神の国を鮮やかに望み見、その国に入る日まで、良き羊飼いである主が自分の側を離れず導いて下さると知り、確信し、心は安らかである。そのような幸いな老いを、私も迎えたいと切に願う。
 だが、とにもかくにも人生80年、下手をすれば100年時代である。ちっとばかりの体調不良に気落ちして老け込まず、気を引き締めて歩まねばと思う。