inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

「ジェーン・エア」を読む

 

 

 

                          「ジェーン・エア」を読む
キリスト教信仰の観点から
 永年、映画や小説で「ジェーン・エア」を愛読してきた。全体に英文学を好む私であるが、それだけでなく、文化や時代を異にするとはいえ、貧しい牧師の娘として育った作者に自分と共通する意識(キリスト教信仰へのこだわり)を感じるのである。現代のウーマンリブにも通じる自立した自分の生き方の主張の根拠に、創造者なる神の支配(摂理=providence)を据える点に共感を覚える。うまい小説とは云えないが、例えば同時代の女流作家ジェーン・オースチン高慢と偏見」などと比較して、なんと神への意識が前面に押し出されていることか。「サイラス・マーナ」を残したG・エリオットも、同じく牧師の娘であったが、文化や良識の範囲でキリスト教の影響を間接的に示しているに過ぎない。

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アイヴァンホー(1)小説はダイジェスト版でなくオリジナルで読もう

むかし、小学校の図書室で、子供版の「アイヴァンホー」を読んだ。騎士道やら城の攻防やら、血湧き肉躍る小説だった記憶がある。

その後、岩波文庫で「アイヴァンホー」上下2巻を見かけて読んでみた。騎士道やら城の攻防やらの話の筋だけでなく、著者スコットがユダヤ人に対する偏見を批判的に描いていることや、近代人として騎士道の野蛮さをリチャード獅子心王ロビンフッドの活躍と同時に描いていることに気がついた。特に、ユダヤの美女レベッカが、旧約聖書の民として当時のキリスト教的文化と対決する場面など、大人の読み物として超面白かった。

そこで思ったのだが、ダイジェスト版では原作の面白さがよくわからないということだ。映画や漫画でダイジェストされた小説ではなく、是非オリジナルで楽しんだ方がいい。もちろん、翻訳で充分。私は、翻訳で読んで気に入ったものだけさわりの部分だけでも原書(英語だけ)で読むことにしている。だが、ミルトンの失楽園は、英語が超難しくてだめ。ドレの挿絵集についている原文の詩だけ、翻訳を片手に辞書を引きながら楽しんでいる。

これから少しアイヴァンホーの感想を書きたいと思っているが、あらすじを紹介するのが面倒なので、気に入った場面だけ紹介し感想を書くことにする。ジェーン・エア感想文は、長すぎて誰にも読んでもらえそうもなかったので、今度は少しずつさわりの部分だけ紹介したり感想を書いたりしようとおもう。

次回は、ドラクロワの絵とアイヴァンホー。

 

 

ブログタイトルの説明

まず、このブログのタイトルについて説明というか言い訳をする。
 昔、聖テレジアの「霊魂の城」(ドン・ボスコ社)という本を読んだ。内容については、あまりピンとこなかったが、聖テレジアが、狭い修道院内に閉じこもっている修道女たちに同情し、自分の内面(霊魂)にある宏大な城を探検し少しずつキリストに近づく事を勧めていることはわかった。私が引かれたのは、「内面にある宏大な城の探検」というイメージである。それが、自分の霊魂であるとは思えなかったが、内面的な風景や世界というものは存在すると思った。
 次ぎに、児童文学に夢中になりC・Sルイスの「ライオンと魔女」を読んだ。ロンドン空襲から疎開した4人の子供(男二人、女二人)が疎開先の田舎の邸を探検し、洋服ダンスの中で「ナルニア国」を発見する物語りである。
 ここで、「内面にある宏大な城」と、それを「探検する子供」のイメージが合体した。私自身は「子供」であり、「内面の宏大な城」は私個人の霊魂ではなく人間社会全体、特にキリストが主として支配し給う世界といったイメージである。私自身の位置は城のホンの片隅である。だが、窓から中庭や城外の風景を覗くことができる。部屋の扉を開いて別の場所に移動すると、また別の趣の部屋と窓からの眺めがある。気持が落ち込むと、窓も何もない掃除道具置き場のようなところに閉じこもってしまうこともある。だが、城の主の栄光や勲しを讃えるタペストリーや絵画、城内外のざわめきに惹かれてまた外に出てみる。次第次第に城の主に心惹かれ、讃美し、慈愛に感動するようになる。そして自分も、この城の主に仕えたいという願いを抱くに至る。そんな空想をした。
 このブログは、「内面の城」に住む私こと「子供」が、読書や出来事からどんな眺めを発見したか、その記録または日記としたい。
 そして、隣の部屋「建司の書斎」に残された書き物(主に説教や聖書研究)を紹介したいとも思っている。また、ささやかに継続している家庭礼拝の記録も残したい。
 もし、私と同じような境遇の人がこのブログを訪れ、「へー、彼女はこんな風に感じ、こんな事を考えているのか」など思って、他者の存在で自分の孤独を紛らせてくださったら望外の幸いである。とりあえず、始めてみる。

自己紹介をすれば、団塊の世代寡婦プロテスタントキリスト教信者である。