inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「家なき子」

 新聞の映画評欄で上記作品が公開されたことを知り、思い切って久しぶりに映画館に行ってみた。エビスガーデンシネマは、平日の昼間のせいもあるかと思うがガラガラで、ソーシャルディスタンスの心配どころか、私の座席の列には私一人、ほか誰も座っていない列もあると言う次第で、なかなか個性的な映画上映が評判のこの映画館の経営を心配してしまった。

 「家なき子」の原作者エクトール・マロは、19世紀末フランス文学者で、改良的社会主義者というか、エンゲルスが批判している空想的社会主義者であり、経営者や良心的人間の努力で社会を変革し、底辺の被抑圧者達を解放すべきであるという考えの人であったようだ。社会主義理論はともかく、最も弱い立場の子供達が、社会の矛盾や貧しさ、不正義に苦しみながら前向きにけなげに生き抜く様を描いて、感動を与えている。

家なき子」は捨て子だった少年が、養母と別れ大道芸人に引き取られ、流浪の生活の中で様々の冒険をし、遂に生母と巡り会う迄の物語であり、貧しい農民や小商工業者の生活、大道芸人としての放浪の苦しみ、大都会で孤児達を利用する泥棒組織との戦いなどが描かれていて、冒険小説としても非常に面白い。姉妹編の「家なき娘」(ペリーヌ物語として、アニメ化され、亡くなった夫も珍しく面白がって見ていた)は、インド人の母とフランス人の父の間に生まれた娘ペリーヌが、孤児となり、人種偏見に凝り固まって母を認めようとしなかった祖父を訪ねて危難の旅をし、最初は祖父の経営する会社の女工となり、息子を失って悲しみに暮れる祖父に次第に近づき、秘書となり、人柄と有能さを認められてはじめて孫娘であることを明かすという話である。こちらは、女の子が主人公であるから冒険と言っても、「家なき子」ほどのスケールはないが、どちらも、人間にされるがままの動物への情愛や共感が溢れていて、良質の児童文学であり社会的正義へ目を開かせてくれる。「家なき子」を実写版でどう映画化されたかたのしみであった。

 映画が始まった。雷鳴とどろく嵐の夜である。四階建ての広壮な邸宅にも激しい風雨が吹き付け、その一室で寝ていた少年は眠れなくなってそっと起き出してしまう。階下の台所に忍び込む様を、階段の上から一人の老人が見ていた。老人も下におり、少年にお茶を入れてあげて、暖炉の側で昔語りを始める。

 レミという10歳になる少年が、おっかさんと二人でフランスの田舎に住んでいたんだよ。近所に友達もおらず、少年は淋しくなるとたった一頭いる乳牛の腹に顔を寄せて、歌を歌って自分を慰めたんだ。その歌はね、誰に教えて貰ったわけではなく。自然に自分の心の中から湧き出してくる歌だった。父親はいつもパリに出稼ぎに出ていて、レミは顔も知らなかった。ところが、その父が事故に遭い不具の身になったという知らせが入り、その治療と故郷に戻る費用を捻出するため乳牛を得る羽目になった。父親が戻りレミを見るなり、「この捨て子をまだ育てていたのか!」とおっかさんを怒鳴った。レミは捨て子で、高価な産着を着せられていたのでもしかしたら礼金が貰えると思って育てていたのだ。不具の男とその妻では、これ以上捨て子を育てる余裕がない。レミは孤児院に入れられることになった。だが、養母との別れに泣くレミは逃げだし、村人に捕まってしまう。そこに通りかかった大道芸人の親方ヴィタリスが、金を払ってレミを引き取ることになる。孤児院か親方との旅かどちらしかない。レミは大道芸人になる決心をする。

 ヴィタリス親方はいい人で、レミに読み書きや楽譜を教えてくれた。実は、彼はレミの歌を聞いて、その才能に惚れ込んでいたのだ。レミの心から湧いてくる歌を楽譜化し肌身離さず持っているように言う。名犬カピと猿の曲芸だけでなく、レミの歌声も一座の芸となった。田舎の放浪では野宿でのオオカミや寒さや飢えとの戦いがある。生きるだけでも毎日が冒険であった。やっと町が近くなり、運河を船で旅する金持ちに余興で雇われた。不具の少女リーズとその母親である。レミはリーズと仲良しになった。ところが、親方が身元不詳者として警察に拘束されてしまう。親方が警察にいる間、レミと動物たちはリーズと母親に引き取られていた。警察から親方が戻ると、リーズの母親は親方にレミを引き取りたいと言う。リーズの友達として、成長すればリーズの執事に取り立ててあげる。その方が、あなたといるより安全で平和に暮らせるでしょう、と言うのである。しかし親方は言う「それではレミはいつまでも召使い階級でしょう。私はあの子を、いずれリーズに求婚できるほどの名だたる音楽家にしてやりたいのです」。

 彼は実は、ヨーロッパ中に名高いバイオリン演奏家であった。ところが上流サロンに入り浸り、帰りが遅い彼を幼い息子が灯火をつけて待っていた。その灯火から火事になり、彼は一度に妻子を亡くしてしまったのだ。その事件以降、親方はバイオリンを捨て、世捨て人として大道芸人になったのである。リーズ親子と別れ、大道芸人としての放浪はやはり厳しかった。野宿で猿が肺炎になり、その治療のためヴィタリスは仕方なくホテルの客にバイオリン演奏を披露する。演奏に感動したある音楽家が、「昔、ある音楽家の名演を聞いたことがきっかけで、私は音楽家になりました。不幸な事故で、世を避けたと聞いたその方を、私は尊敬しております」といって、大枚を払ってくれるということもあったが、猿はやはり死んでしまう。一座は演芸の続行が困難となった。

 旅の途中、猛吹雪に遭い、親方はレミをかばって凍死。レミとカピだけが助け出される。しかし、レミが肌身離さず持って居た「レミの心の歌」の楽譜から、レミの本当の身元が知れる。イギリスの伯爵家の行方知れずの長男であったのだ。母親が歌って聞かせたオリジナルな子守歌が「レミの心の歌」の正体であったのである。伯爵家の跡取りとなったレミは親方の墓を建て、養母に新しい乳牛をプレゼントした。そして、長じてヨーロッパ中に名だたる歌手として活躍したのであった。

 老人の長い昔語りは終わった。嵐に眠れなかった大勢の子供達が取り囲んでいる。いつの間にか空が明るくなっていた。「もうお休み子供達」と老人はいい、子供達は「お休み、バルブラン様」と挨拶してベッドに向かう。老人も連れ合いの眠るベッドに入り、「おやすみ、リーズ」と挨拶する。

 朝の邸宅が映し出される。その表札は、「ヴィタリス孤児院」であった。

 以上、すっかりネタバレ。原作とはちょっと違う作品になっていた。社会的側面は随分そぎ落とされ、少年の音楽の才能をめぐる失意の音楽家の人間回復の物語になっている。悪党との戦いや、親方を失ったレミ一座の活躍も省かれている。だが、よりロマンチックで温かいメルヘンになっており、1時間半ほどの上映時間内ではよくまとまったヒューマンドラマとなっていて、好感を覚えた。