inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

心に残る近代短歌

追補⑥
吉野秀雄
病む妻の足頸(あしくび)にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし
をさな子の服のほころびを汝(な)は縫へり幾日(いくひ)か後(のち)に死ぬとふものを
これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむら)だちせよと迫りし吾妹よ吾妹

中村憲吉
新芽(にいめ)立つ谷間あさけれ大仏(だいぶつ)にゆふさりきたる眉間(みけん)の光
日の暮れの雨ふかくなりし比叡寺(ひえでら)四方結界(よもけっかい)に鐘を鳴らさぬ

石上(いそのかみ)露子
みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる

古泉千樫
五百重(いほへ)山夕かげりきて道寒ししくしくと子は泣きいでにけり
夜遅く帰りて来ればわが妻ら明日(あす)焚かむ米の石ひろひをり

渡邊順三
ほろほろと春の淡雪ほろほろと落ちて消ぬるよ影もとどめず
癒えがたき病いもつ身ははつはつに芽ぶける木々を見ればわびしも

土屋文明
まざまざと影たつ山の峡(かい)を来て鳴る瀬の音ぞくれゆきにけり
ま日くれし光は高きより来り巌(いわお)のうへに草をもとむる

木俣修
つやつやし頬(ほ)のいろ見れば切長(きれなが)の御目(みめ)もやさしく御仏(みほとけ)は坐(ま)す
悲願もちてこの御仏(みほとけ)に額づきし遠(とお)つ世の人におもひはゆきぬ

岡麓
障子あけておけば燕がいで入りし鄙の住居に馴れて安らぐ
外にいでて暗きに水の音ひびく流(ながれ)見に行く蛍飛ぶやと

宮柊二
自爆せし敵のむくろの若(わか)かるを哀れみつつは振り返り見ず
軍衣袴(ぐんいこ)も銃(つつ)も剣(つるぎ)も差上げて暁(あかつき)渉る河の名を知らず
うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇う最後の雨か
こゑあげて哭けば汾河(ふんが)の河音の全く絶えたる霜夜(しもよ)風音(かざおと)

江口渙
死ぬる子の枕べにいて昼ふかし氷はとくる縁の日なたに

瀧田十和男(癩療養者)
幼くて癩病む謂れ問ひつめて母を泣かせし夜の天の河

島秋人(死刑囚)
てのひらを冬陽の壁に添へてゐる死囚のいのちのひととき愛(かな)し

熊谷武雄(農民)
もやしたる種籾の芽のうす青し八十八夜きたる山国

筑波杏明(警官)
鉄かぶとのひさしに涙かくしつつ崩さねばならぬスクラムにたつ
柵一つへだてて対(むか)ふいまに聞く立場異なる憎しみのこゑ

和田国基(国鉄機関士)
異常なく乗務終えたり星空の清(すが)しさよ大地は微動さえなし

 

追補⑤
若山牧水
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
接吻(くちづ)くるわれらがまへに涯もなう海ひらけたり神よいづこに
山奥にひとり獣の死ぬるよりさびしからずや恋終りゆく
山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき
枯れし葉とおむふもみぢのふくみたるこの紅(くれな)ゐをなにと申さむ

吉井勇
夏はきね相模の海の南風に わが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ
夏の帯砂(いさご)のうへにながながと 解きてかこちぬ身さえ細ると
ぎやまんの大酒杯(おおさかづき)を手に取れば 寛闊(かんかつ)ごころおさへかねつも
ひとり生きひとり往かむと思ふかな さばかり猛きわれならなくに
寂しさに堪ふることにもいつか馴れ ひとり山居をたのしむわれは
寂しければ約百記(ヨブ記)も読みぬ たはやすく救はるるとは思ほえなくに
夜ふかく天(あめ)よりくだるものありて 玻璃戸もいつか凍てにけらずや
春の霜こよひも降らむ磨る墨の にほひ身に染むほどのしづけさ
われ若く与謝野の大人(うし)にともなはれ はじめて見たるその舞妓誰
今もなお異国情調という文字 見れば胸鳴るとどろとどろに

追補④
吉井勇
夕去れば狩場明神あらはれむ 山深くして犬の聲する(流離抄、棟方志功「流離抄板画柵」あり)
君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも 萬葉集の歌ほろぶとも(酒ほがひ)
寂しければ酒ほがいせむこよひかも 彦山天狗あらはれて来よ(天彦)
葛飾紫煙草舎の夕けむり ひとすじ靡くあはれひとすぢ(河原蓬…紫煙草舎は白秋の侘び住まい)
大雪となりし高志路のしつけさは 深々として切なかりけり

追補③
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちをしなしむなゆめ(斎藤茂吉
夕霞棚引く頃は佐保姫の姿をかりて訪わましものを(谷崎松子)
君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ(北原白秋
海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと(高村光太郎
昏れ方の電車より見き橋脚にうちあたり海へ帰りゆく水(田谷鋭)
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水
眼を閉ぢて深きおもひにあるごとく寂寞として独楽は澄めるかも(植松寿樹)
終わりなき時に入らむに束の間の後前ありや有りてかなしむ(土屋文明)
愚痴蒙昧の民として 我を哭かしめよ。 あまりに惨(むご)く 死にしわが子ぞ(釈迢空
お祖母(ばあ)ちやまお感傷(センチ)のたたずまひと虚をつけり昨日教へし古典語をもて(四賀光子)
逝く水の流れの底の美しき小石に似たる思ひ出(湯川秀樹
万葉の流れこの地に留めむと生命(いのち)のかぎり短歌詠みゆかむ(孤蓬万里)…台湾万葉集
クーラーの効きし部屋にて老い二人手首足首サポーターつけて(江苑蓮)…台湾万葉集
『半値にて如何?』と迫る日本人客板につきたるその値切り方(江苑蓮)…台湾万葉集
端渓の細かき石の肌に触れて匂ひをあぐる春の夜の墨(尾上柴舟)
筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我を愛できと(与謝野晶子
荒海の磯元ゆする高浪の秀(ほ)さき吹かれて飛沫奔れり(吉野秀雄)…寒蝉集
兵隊は 若く苦しむ。草原のくさより出でゝ、「さゝげつゝ」せり(釈迢空
たゝかひに しゝむら焦げて死にし子を 思い羨む 日ごろとなりぬ(釈迢空
我どちにかゝわりもなきたゝかひを 悔いなげゝども、子はそこに死ぬ(釈迢空
誰びとか 民を救はむ。目をとぢて 謀反人なき世を 思ふなり(釈迢空
白藤の花にむらがる蜂の音あゆみさかりてその音はなし(佐藤佐太郎)
寝かされてゐる弟に童話読みわかるやときく読みさして兄(窪田空穂)
君が来て掃きてくれたるこの部屋に坐りて居れば新年(にひとし)めくも(川田順
万葉集巻二十五を見いでたる夢さめて胸のとどろきやまず(佐佐木信綱
ありがたし今日の一日(ひとひ)もわが命めぐみたまへり天と地と人と(佐佐木信綱
雪はただしんしんとして降るものを何に唇(くち)噛み耐へてある身ぞ(吉井勇)…「流離抄」

 

追補②

バカボンのパパが最後に言ふせりふこれでいいのだこれがいいのだ」

…住谷眞

追補①

与謝野晶子

「靑空のもとに楓のひろがりて君亡き夏の初まれるかな」…鉄幹没後「白桜集」

「惡龍(あくりょう)となりて苦しみ猪となりて啼かずば人の生み難きかな」

                          …「青海波」

「男をば罵る彼等子を生まず命を賭けず暇(いとま)あるかな」

佐々木信綱
願はくばわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
大門のいしずゑ苔にうづもれて七堂伽藍ただ秋の風(毛越寺
幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ
我が行くは憶良の家にあらじかとふと思いけり春日の月夜
歌おもひ日(ひ)毎(ごと)よりましし文机にわれはた倚りてここら年経ぬ
しのべは心ぞかよふ父の世とわが住める世とへだたりあれど
うぶすなの秋の祭りも見にゆかぬ孤独の性を喜びし父
天(あめ)にいますわが父ののみはきこしめさむ我がうたふ歌調(しらべ)低くとも
山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも
花さきみのらむは知らずいつくしみ猶もちいつく夢の木実を

大塚楠緒子
人つどいさゝさめく声につつまれていよいよ我ぞさびしかりける

片山広子
待つといふ一つのことを教えられわれ髪白き老に入るなり

正岡子規
くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる
瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけれ
いちはつの花咲きいでて我目には 今年ばかりの春行かんとす

与謝野晶子
遠つあふみ大河流るる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに
その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ

与謝野鉄幹
有常が妻わかれせしくだりよみ涙せきあえず伊勢物語

山川登美子
髪ながき少女(おとめ)とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ

吉井勇
かにかくに祇園は恋し寝(ぬ)るときも枕の下を水の流るる

尾上柴舟
つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき

伊藤左千夫
牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる
よきも著ずうまきも食はず然れども児等と楽しみ心足らえり
人の住む国辺を出でて白波が大地両(ふた)分けしはてに来にけり(九十九里浜にて)
池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨ふりしきる(亀戸天神
猫の頭なでて我が居る世の中のいがみいさかひよそに我が居る
おりたちて今朝の寒さに驚きぬ露しとしとと柿の落ち葉深く
鶏頭のやや立ち乱れ今朝やつゆのつめたきまでに園さびにけれ
秋草のしどろが端にものものしく生きを栄ゆるつはぶきの花
今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光

島木赤彦
高槻のこずゑにありて頬白のさえづる春となりにけるかも
人に告ぐる悲しみならず秋草に息白々と吐きにけるかも
夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ
信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色
みずうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影なみにうつろふ
以下三首(逝く子)
ひたすらに面わをまもれり悲しみのこころしばらく我におこらず
田舎の帽子かぶり来(こ)し汝れをあわれに思いおもかげに消えず
友を見てはじめて心やすまれり堪らえてありし涙ながるも
山の湯にひたりておもう口髭の白くなるまで歌よみにけり
隣室に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり
我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思いいでて眠れる

斎藤茂吉
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根の母は死にたまふなり
ゆうされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
おもい出は霜ふる谿に流れたるうす雲のごとくかなしきかなや
静厳(せいげん)なる臨終なりしと伝ありて薬のそばに珈琲茶碗ひとつ
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

落合直文
父君よ今朝はいかにと手をつきて問う子をみれば死なれざりけり

若山牧水
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
白鳥はかなしからずや海の青空の青にも染まずただよう

北原白秋
わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕
昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

北見志保子
人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ(立ち去りがたく逡巡する様)堪えがたかりき

木下利玄
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

岡本かの子
年々(としごと)にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり

今井邦子
たちならぶみ仏の像いま見ればみな苦しみに耐へしみすがた

土岐善麿
朝日新聞社在勤中)
りんてん機今こそ響け。 うれしくも 東京版に、雪のふりいず
太田水穂
かけめぐる夢の枯原かぜおちてしづかに人は眠りましたり
(旅に病みて夢は枯野をかけめぐるー芭蕉

前田夕暮
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

川田順
(老いらくの恋)
相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ
しらたまの君の肌はも月光(つきかげ)のしみとほりてや今宵冷たき

長塚節
馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想い見るべし

尾山篤二郎
いふ甲斐もあらぬわれかなとなげきつつ曼珠沙華赤き野にきたりけり

明石海人(癩病者)
われの眼のついに見るなき世はありて昼のもなかを白萩の散る

三ヶ島葭子
君を得たるよろこびなれど新しくおのれを得たる驚きぞする

窪田空穂
終戦一年、中国戦線で生死不明の子に)
親といへば我ひとりなり茂二郎生きをるわれを悲しませ居よ

窪田章一郎
弟の臨終(いまは)のあはれ伝え得る一人の兵もつひに還らず
イカルの湖に立つ蒼波のとはに還らじわが弟は
灯を消して寝に就く子らに声をかくわれも父よりされしごとくに
をかしたるこのあやまちも見ぬごとくいましし父に導かれきし
ちかぢかと夜空の雲にこもりたる巷のひびき春ならむとす
怒るべきものを怒れといにしへの金剛力士像ひとつ立つ
著書一つ成りしあとのさびしさに書評のいくつ胸に沁むなり
おとろえずながき命の末にして一人の歌を遂げし西行

釈迢空
葛の花 ふみしだかれて、色あたらし。 この山道を行きしひとあり

会津八一
おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ

石川啄木
不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心
やはらかに柳あおめる北上のきしべ目にみゆ 泣けとごとくに
剽軽の性なりし友の死顔の 青き疲れが いまも目にある
ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買いきて 妻と親しむ
函館の青柳町こそ恋しけれ 友の恋歌やぐるまの花

柳原白蓮
誰か似る鳴けよたへよとあやさるる 緋房の籠の美しき鳥

佐藤春夫
ふるさとの柑子の山を歩めども癒えぬなげきは誰が給いけん