inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

死後の生:リンドグレーン著「はるかな国の兄弟」

 リンドグレーンは「長靴下のピッピ」でおなじみの作家だけれど、私はあまり魅かれなかった。明るく、屈託がない子供(ピッピのような)なんて共感が起きなかったのだ。子供の心には、恐れや自信のなさ、迷いや混乱が存在している。もがいてもがいて、縋り付く確かな何かを探し出そうとするのが、自然な子供の姿ではないだろうか。

 しかし、川合隼雄著作集4「児童文学の世界」でこの作品の存在を知り、読んで、いろいろなことを考えた。一つは「死後の生」についてである。私はクリスチャンとして、死後の生(天国の生)を信じている。だが、天国の生活がどのようなものか、あまり詳しく考えていない。もし、一般に信じられているような、清き岸辺で愛する兄弟姉妹と共に、賛美歌を歌い続けるような生活だとしたら、おそろしく退屈なのではないだろうか。むしろ、藤井武先生が語られたように、思う存分自分の天職に励み続ける(牧師なら説教し伝道を続けるなど)働く生活だというほうが魅力的である。

 イエス様は復活されて、神の右に座し、そこで安楽の生活をしておられるわけではない。今もなお、世界の悪と罪に対し「勝利の上に勝利を」重ねる戦いに従事しておられる。つまり、働いておられるのだ。

 だとしたら、私達人間の肉における死がそのまま安楽な生活(天国)への転生ではなく、第二の戦いへの転生ではないと誰がいえるだろう。主が最後の敵(死)を滅ぼすまで戦っておられるなら、主の僕たちもまた、安楽にではなく主に従って戦うべきではないだろうか。またそうありたいと願うのではないだろうか。

 この作品の主人公カール(愛称クッキー)は結核病みで足に障害のある10歳の少年である。寡婦の母が縫物で生計を立てており、その顧客が彼が聞いていないと思って彼が余命いくばくもないことにつき母を慰めるのを聞いてしまう。クッキーには、彼と対照的に、美しく賢く非の打ちどころのない兄(ヨナタン)がいた。母を苦しめまいとして何も言わなかったクッキーも、この兄に死への恐れを訴えて泣く。兄はこういう。「(死は)恐ろしくないよ。墓に横たわるのは、君の抜け殻だけなんだ。君はナンギヤラに行く。そこは、野営の焚火と物語の時代なんだ。そこでは、君はすっかり元気になり、やりたかった冒険を思いきりできるんだ。ここで咳をして苦しんでいるより、いいじゃないか」。

 クッキーは、ちょっとそこに行ってもいい気がした。だが、それでも一人ぽっちで、大好きな兄と一緒にいられないなら心細いという。兄は、そこでの時間の流れは地上とは違って千年も一日のように感じられるから、君はちょっと待てば僕にまた会えるんだという。だが、彼は暗い顔をして付け加えた。「だけど僕は、大好きなかわいいクッキーなしで地上で何年もくらすのか!」。

 しかしそうはならなかった。火災が起き、兄は、弟を助けようとして火に飛び込み、弟を背負って3階から飛び降りて死ぬ。町の人々は、兄を称賛してヨナタン・レヨンイエッタ(獅子の心をもったヨナタン)と呼んだ。だが、弟クッキーは負い目と孤独に打ちひしがれる。そこに、ナンギヤラにいる兄の声が聞こえる。「僕がここに来たら、一軒の家が待ち受けていた。そこは桜咲く谷の騎士屋敷で、表札はレヨンイエッタ兄弟となっている。だから、僕たちは一緒にそこにすむんだ!」

 クッキーはそれを信じ、安らかに死ぬ。気が付くと、騎士屋敷の前にいて「レヨンイエッタ兄弟」の表札を読んでいた。兄弟の出会いは、感激と幸いそのもので、感動的である。「顔と顔を合わせて」主にまみえる時、キリスト者もこうであろうか。クッキーは完全な健康体となり足の障害もなくなっていた。素晴らしい自然と人間たちのいるナンギヤラも、しかし天国ではなかった。裏切り者がおり、太古の怪物とそれを支配する者との戦いが始まったのである。多くの苦難の戦いの末、太古の怪物も支配者も滅びるが、ヨナタンも怪物の毒に中てられて体が動けなくなってしまう。ナンギヤラで死んだ者はナンギリマに行くという。そこは、焚火と楽しい物語の時代で、喜びにあふれているという。ヨナタンはそこに行くことを願う。だが、体が動かないからどうすることもできない。一方、クッキーはもう二度と兄と別れたくなかった。たとえ地獄であろうとも、愛する兄と一緒にいたい。だから、兄をナンギリマに行かせるために、兄を背負って自分も高い崖から身を投げる。「僕の勇ましいクッキー・レヨンイエッタ、怖いのかい?」兄がいうと、クッキーは「怖くても、僕やるよ。…ああ、ヨナタン、光がみえるよ。光だ!」。ここで、物語は終わる。

 冒頭のクッキーと同じように、障害や病・戦争などで苦しく短い生涯を送らざるを得なかった者たちの魂は、死後、ナンギヤラ(「難儀やら」と連想してしまうが)のようなところに行き、そこで自分が送りたかったような冒険と戦いの生を生きられるのではないだろうかと、ふと思ってしまう。主を愛し、主と共に戦い、主に自分の命を捧げる生が(それこそ生きがいある生活ではないか)、自分のことでのみ苦しむ生(宮沢賢治の妹トシは「永訣の朝」でそういった)を終えた死後に待っているならどんなにうれしいだろう。キリスト者は、ただ讃美歌を歌うだけの、安楽生活を願ってはいない。より多く愛せることを、願っているだ。

 

映画「マグダラのマリア」

 

 レンタルで「マグダラのマリア」という新作DVDを見かけ、借りてみた。
 マグダラのマリアは、イエスの女性弟子の一人で「七つの悪霊を、イエスに追い出してもらった」と聖書に書かれている。ということは、現代風にいえば重い精神的障害をイエスに癒されたということである。彼女はその病によって家族や社会から排斥され孤独になっていたが、癒されて後イエス一行に随行し、自分の財産で彼らの食料や身の回りの世話をした婦人である。自分の自由になる財産があるというからには、若い女性ではなくある程度の年配であったようだ。女が男性弟子に混じって随行するというのは、どういう形であれ大変であったであろう。だが、同じような女性弟子もほかにいた。彼女らはイエスの十字架死を最後まで見届け、アリマタヤのヨセフによってイエスが墓に葬られたのも見届けた。その翌日は安息日であったが、安息日があけると同時にイエスの墓にかけつけ、墓が空虚であることを発見したのもマグダラのマリアをはじめとする女たちであった。イエス逮捕と同時に逃亡し、人をおそれて隠れていた男性弟子たちと比較して、彼女たちの献身は心を打つ。
 ところが、マグダラのマリア一人が最初に復活のイエスに出会ったと言い伝えられている。彼女が空虚な墓の前で泣いていると、「なぜ泣いているのか」と声をかけられ、振り向くとイエスがたっておられた。だが、最初は気づかず、イエスの亡骸の行方を尋ねる。「マリアよ」とイエスに呼びかけられて初めて気づいて「ラボニ(師よ)!」と叫んで取りすがろうとすると、「ノーリメ・タンゲーレ(我に触れるな)」と拒絶され、十二使徒らに復活を伝えるように命じられた。
 男性弟子たちは復活を「愚かな話」と疑ったり、イエスが顕現されると幽霊だとおそれたりしたのに、彼女はおそれずに復活のイエスに取りすがろうとした。おそらくラザロの蘇生と同じように、イエスが蘇生したと思ったのではないだろうか。だが、イエスの復活は死ぬべき体に蘇生したのではなく、もはや死ぬことのない不思議な「霊の身体」に復活されたのである。「肉の身体」におられた時と同じような奉仕はもはや不要・不可能となった。彼女のイエスへの献身も変わらねばならなかった。
 だから、最初に復活のイエスに出会ったマグダラのマリアをこの映画がどのように描いているか興味深くみた。よくありがちの悔い改めた罪の女としてではなく、マリアを精神的障害を癒されてイエスに従っていった若い女としているところは新鮮に感じた。男性弟子に混じって、一行と野宿したり、放浪を共にする場面はなかなかリアルであり、女性弟子たちの行動もこうであったのかと偲ばれた。
 だが、空虚な墓の前で復活のイエスに出会った後が、いただけない。突然、男性弟子たちのところに行き、「神の国は、政治的・場所的に到来するのではなく、私達の心の中に到来するのだ」と、宣教しはじめてしまうのだ。そして、「神の国は、芥子だねのように人々の心の中に芽生え、育つ」とナレーションがはいり、マリアが女たちの中を歩んでいく場面で終わる。
 これでは、現世的・政治的神の国(神の支配)を目指す男性弟子に対抗して、女性弟子が心の中で成長する神の国という信仰を推し進めたという、どこかフェミニズム的主張になってしまう。もっと復活の証人としてのマリアにスポットをあてて、描いて欲しかったと思う。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」


 年末に、話題の「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
 「クィーン」は私とほぼ同世代のロックバンドである。だが、彼らがヒットしていた時は、子育てや生活に追われてロックミュージックどころではなかった。流行っていることだけは知っていたが、ほぼ初体験である。
 飛行場の荷役でアルバイトをしている少年フレディがいる。「パキ」(パキスタン人)と差別されているが、実はムスリムイスラム教徒)の迫害からイギリスに逃れたゾロアスター教徒の出身である。亡命前は裕福な自営業者であった父も、現在は人に使われる身となり実直に働いて家族を支えている。堅物の父親は、アルバイトを終えロックライブに出かけようとする息子を「夜遊び」と咎める。「善き考え方、善き言葉、善き行い」が口癖のそんな父に、「それで、どんないいことがあった?」と言い捨ててライブに出かける。彼には、ロックで発散させたい鬱屈があるのだ。ライブは素晴らしく、終わった後にバンドに遭いに行く。探していると、かっこいい女の子がいた。じっと見つめて「何の用?」と言われてしまう。「さっきのバンド探してる」といったものの、思わず「君のコート、かっこいいよ」と言ってしまう。「ビバ(洋服のブランド)よ、その店で働いてるの」。
 外に出ると、さっきのバンドは歌手が脱退して解散寸前だと告げられた。フレディは自己紹介し、少し歌い、実力を示して歌手としてバンドに参加することになる。
 「ビバ」に、衣装を買いに行くと、ライブで出会った彼女(メリー)が対応してくれる。気に入った服を手に取ると女物だという。「表示されてないじゃないか」と置こうとすると、「そんなことこだわる必要ある?」とメリーはいう。それを試着し、メリーがスカーフを選んで巻いてくれる。「あなたのスタイルすてきよ。でも、もっと冒険しなきゃ(should be free)」と云って、彼に化粧をしてくれる。「冒険しなきゃ」という言葉が彼を解放する。自分の中の何かを解き放ち表現したい。メリーはそんな彼を理解し、寄り添って一緒に解き放ってくれた初めての人なのだ。彼女に吸い寄せられるように惹かれる。
 フレディが参加したバンドは成功する。名前も「スマイル」から「クィーン」に変えた。思い切って演奏旅行用の自動車を売り、アルバムを制作することにした。制作に熱中する場面は面白い。録音テープを使って音を重ね合わせ、スピーカーを振り子のように動かして変わった効果を出してみたり、エコーをしてみたり等々、新しい技法や効果を追求する。アルバムは、大ヒット。メリーと婚約し、アメリカ・ツアーが組まれ、熱狂的に迎えられる。アメリカ・ブラジル・日本等々、世界中で大成功する。著名なプロデューサーから新アルバム制作の申し出がある。意気揚々と、「二度と同じ企画は繰り返さない。今度は、音響効果ではなくオペラ(クラシック)とロックの融合だ!」と宣言し、バンドは田舎の農場にこもり、制作に熱中する。
 「運命の人」を制作演奏するフレディは美しい。彼に惹かれた男からキスされる。キスを受け入れた。「だが、運命の人(愛する人)はメリーだ」ともいう。しかし、彼の中の「ゲイ(同性愛)」は解き放たれてまたった。彼は、男性に情欲を感じるようになった自分に苦しむ。ついにメリーに告白する。メリーを愛している。だが…。
 完成した新アルバム「ボヘミアン・ラプソディ」は異例の長さで、プロデューサーに拒否され、歌詞が難解で訳がわからないとメディアで不評であったが、大ヒット。ライブやツアーで世界中の聴衆を熱狂させる。
 だがフレディ自身は、心の混乱の中、夜ごと乱痴気パーティを開き、ゲイを侍らすようになった。父親は、そんな彼を報じる新聞記事を恥じる。メリーも、彼と心の絆だけでは満たされず、別のボーイフレンドを作るようになる。「クィーン」が大ヒットする中、フレディに思い上がりが生まれた。ソロシンガーの申し出を受け、ゲイとの同棲に批判的な「クィーン」の仲間から分かれて、自分独自のアルバムを出す決断をする。同棲相手が外部との接触を妨害する中で、制作に熱中する。体調が悪い。
 突然メリーが訪ねてきた。「悪い夢を見たの。あなたが聾唖のようになり、歌っても声が聞こえない夢だった。あなたは、一人ぽっちになろうとしている。だめよ。バンド仲間に帰って!そしてバンドとして、ライブ・エイズ(アフリカの飢餓救援ライブ、世界規模で衛星放送され、著名ミュージシャンが参加した)に参加して頂戴。その申し出を伝えない同棲相手は、あなたを独占し孤独にしようとしている。あなたは、あなたの仲間のところに戻るべきよ」という。今でも彼を心にかけ誠意を尽くしてくれる彼女に、「一緒にいてくれ」と頼む。だが「だめ。私、妊娠しているから」といわれた。
 「ゲイ」の誘惑に溺れた結果、「運命の人」メリーに彼とは別の人生を選ばせてしまったのだ。メリーは、彼とは無縁の子供を宿し、彼は取り残される。
 体調の悪さはエイズ感染によるものだった。恥辱と破滅のエイズ告知、まじかに迫った死の宣言を受けて病院から立ち去ろうとすると、顔を伏せて廊下に座っていたエイズ患者が、「アーアアア」と呼びかけてきた。これは「クィーン」がライブで聴衆と掛け合う、バンドと聴衆との共感を表現しあう言葉である。フレディも「アーアアア」と返す。患者はフレディの絶望と孤独がわかる(同病だから)。だから「君だけじゃない、俺もだ」と声をかけ、フレディも「そうだ。わかった」と応じたのだ。患者の顔に微笑みが浮かぶ。この瞬間、彼は心が決まる。生涯の暗中模索と苦悩の中、ライブで音楽で、自分と同じ悩みを抱えた名も知れぬ聴衆達と共感し合った。自分はこのパフォーマンス(表現)のために生まれたのだ。
 乱痴気パーティにふけっていた頃、「君が自分を発見したら、また会おう」といって去っていった男がいた。フレディは彼(ジム)を探し出す。
 バンド仲間を呼び出し、「どうかもう一度僕を受け入れ、ライブ・エイズに一緒に出演してくれ」と頼む。そして久しぶりの練習の後、最初に彼らに自分がエイズであることを告白する。「でも、同情しないでくれ。僕は、自分がそのために生まれたパフォーマーとして、燃焼しきるつもりだ」という。
 ライブ・エイズ出演当日、出演前にジムを伴って実家を訪問する。これがアフリカ飢餓のための無償の奉仕であること、ジムが最後まで付き添ってくれることを報告する。「二人はどうして知り合ったの?」との問いに、ただ目を見かわしてジムの手を固く握るだけである。ゲイを恥じず言い訳をせず、自分の仕事に誇りと生きがいを見出した息子の態度に、父は感動する。思いがけない形であっても、息子は立派に一人の人間として生きているではないか。「じゃあ」と立ち上がるフレディを抱きしめる場面、感動的だった。ロックを聞いたこともない父が、ライブを見逃さないようテレビに向かう。
 ライブ・エイズボヘミアン・ラプソディーを演奏する。この場面までくると、歌詞の意味が何となく理解できる。「ママ、僕は人を殺した」(彼はゲイを解き放って自分を殺した。)「生まれてこなければよかったと、思ったりする」「だけど同情なんかいらない」「止めてくれ、でも僕を自由にして(ときはなって)くれ」。フレディは自分を歌う、だが、聴衆達も彼の「俺は、そうさ惨めな奴」「だけど同情なんかいらない」「解き放ってくれ」に共感する。孤独と惨めさを自覚し、それでも毅然として自分自身であり続けようとする心が、大衆を共感させ、奮い立たせる。「We are the canpion」を聴衆は自分のことのように熱狂して一緒に歌う。また、ギターのソロ演奏が実によかった。映画が終わり、満足して席を立った。

泥足にがえもん

 

 C.S.ルイスの「ナルニア国」物語シリーズは、子供向けファンタジーとされているが、私も大好きな読み物である。あまりキリスト教的に解釈しなくても、素直に、物言う動物や登場人物のキャラクターを楽しんでいいと思う。

 シリーズの1巻に「銀の椅子」がある。こちら側の現実世界からナルニアに送り込まれた二人の子供たちが、魔女にさらわれたナルニアの王子を救出に向かう冒険譚である。子供達には、ナルニア独特の生物である「沼人」が付き添っていくことになる。沼人とは、物事をできるだけ暗く深刻に考え、最悪の事態を予想して行動すべしという信念をもった人々(生物?)である。水かきをもった細長い手足、泥色の顔色、重たく地を這う煙をだす煙草を愛用する。選ばれたのは「泥足にがえもん」と称する沼人であった。(気に入った本は原文でよむ主義の私だが、このネーミングが気に入って、邦訳で読んでいる。訳者のユーモア感覚が素晴らしい。ドリトル先生シリーズを翻訳した井伏鱒二も、双頭の動物に「押しつ押されつ」とネーミングして、読者に忘れがたいイメージを与えている)。彼は道中、あらゆる不快な予想をして子供たちをうんざりさせる。穴に落ち込んで出られなくなると、「これの良い面は、埋葬してもらう手間が省けるということです」など子供たちを励ますのであった。

 結局、王子は魔女によって地下世界に捕らえられ、自分が何者かを忘れ、地下世界がすべてだと思い込まされていた。救出に向かった一行に「女王(魔女)は自分が何者かもわからないわたくしを憐れみ、地上のある国(ナルニア)を地下からトンネルを穿って攻め込み占領し、わたくしと結婚して共にその国を支配しようと準備しておられるのです」などと語る。王子をたぶらかしていた魔法の「銀の椅子」が破壊され、王子が正気に返り、太陽が輝くナルニアに戻ろうとすると、「女王」が登場する。

 「太陽とはなんですの?」「この部屋にともるランプのように輝いて、世界中を照らす存在です」「そんなもの、本当にあるのでしょうか。あなた方は、ランプをみて空想しただけなのです。実際にあるのは、ランプであって空想の《太陽》なんかじゃないんですよ」

 魔力の香の立ち込めた中で、王子と子供たち一行はだんだんそんな気がしてくる。太陽もナルニアも、自分たちの空想するおとぎ話の中の存在ではないだろうか。今、体験しているランプと地下の穴倉だけが現実存在なのだ、と考え始まてしまった。

 ここで「泥足にがえもん」が本領発揮する。「そうでさあ、女王様。でも、あたしらは、現実のこの穴倉やランプなんかより、空想の太陽やナルニア国のほうがよっぽど好きなんです。このまま穴倉に留まるよりは、たとえ地下に埋もれて死んだとて、太陽やナルニアを求めて暗闇をさまようほうがよっぽどいいんです」と言い放つ。

 この言葉で、王子と子供たちも目が覚める。「沼人、よくいった!」「太陽もナルニアもほんとにあるんだ!」と口々に叫んで、魔女と戦い勝利する。

 沼人も魔法にかかって、太陽やナルニアを空想の中の存在と信じかけていた。ただ、彼は、涼しい風が通い太陽が輝く地上世界の「イメージ」を愛した。たとえイメージにすぎないにしろ、いま体験し感得する世界ではなく、自分が愛するであろう世界に向かって生きる決断をしたのであった。

 弱肉強食、権力が支配する世界ではなく、愛し合い支え合う世界を夢見て生きる。たとえロータスイーターとさげすまれようとも、理想を夢見ることが生きる力になる、と「泥足にがえもん」は決断したのだ。だが物語では、太陽もナルニアも現実に存在する。目に見えなくとも感じられなくとも、よりよい世界が存在すると信じる力を沼人は失わなかったのである。

 カエルそっくり、悪い予想しかしない、しかしながらどん底最悪の状況でも、希望や夢を失わないこの「泥足にがえもん」は、私のお気に入りのキャラクターである。

映画「パウロ」を見て

 先日、渋谷で映画「パウロ」を観た。正直言って、やはりね~と、ため息が出る内容であった。一番神経に触ったのは、ローマの大火の結果、キリスト者に対する迫害が起こり、街灯の代わりにキリスト者を焼き殺して灯りにするなどの悪趣味な描写があったことである。この監督のキリスト映画もそうだったが、残虐シーンを描いてショックを与え、内容的な感動にすり替えようとしているのではないだろうか。この手の安っぽいテクニックで簡単に感動するほど観客は単純ではない。少なくともこの映画を観ようと思うほどの人は、聖書くらい読んでいるだろうし、パウロが大火の首謀者として捕らえられたわけではないことくらい知っているはずだ。

 パウロは異邦人教会でエルサレムの「聖徒たち」のために献金を募り、それをエルサレム教会に渡そうとして、偏狭な民族主義が高まり異邦人との交際に過激に反応するエルサレムに危険を承知でわざわざいったのである。そのためエルサレム詣のユダヤ人で混雑するルートを避けたことまで聖書に記載されている。エルサレム教会としても、そのような状況の中で異邦人からの金を受け取るのは困難な情勢であった。だから主の兄弟ヤコブは、ナジル人への喜捨という敬虔な行為をパウロに勧め、そんな敬虔な人物からの献金として受け取ろうとしたのである。ところが、パウロがそのために神殿に詣でたところを彼が有名なキリスト教伝道者であることを知るディアスポラユダヤ人に見とがめられてしまった。そのために騒乱となり、ローマの治安部隊に逮捕されてしまった。その結果、カイザリア城で2年も未決囚として監禁され、あげくにパウロ自身が、ローマ市民権を持つ者の権利として皇帝に上訴し、ローマに護送されたしだいであり、大火の首謀者として逮捕されたわけではない。

 ローマのキリスト者集団のリーダーとして、アクラ・プリスキラ夫妻が登場するが、彼らはクラウディウス帝のユダヤ人追放令で、ローマを立ち去り、その後エペソ教会の主要メンバーとなっており、ネロの迫害時にはローマにはいなかったはずだ。

 また、ステパノ殉教の場にもパウロは立ち会っていなかった(パウロ自身「エルサレムでは顔を知られていなかった」と述べている。使徒行伝の記事は正確な情報ではない)し、宗教教団として死刑までの権限をユダヤ教団は持っていなかったのだから、迫害者パウロが人を死に至らしめたこともなかったはずだ。異端的信仰に対しむち打刑で罰する程度だったのではないか。映画ではパウロはかつて迫害した人々の亡霊に苦しむなどの描写があるが、パウロの手紙を読む限り、「神への熱心の点では教会の迫害者」などむしろ誇っているくらいだから、良心の呵責に苦しんでいたとは思えない。死後、かつて迫害した被害者たちがパウロを殉教者として笑顔で迎えるというラストシーンもお安い感動のように見えてしまった。

 私が予習をしすぎたせいかもしれないが、この映画は物足りなかった。「クォバディス」の焼き直しではなく、もっとパウロ自身を描いて欲しかった。逃亡奴隷オネシモを主人ピレモンが「もはや奴隷ではなく、愛する兄弟として」受け入れるよう命じているピレモンへの手紙を読むと、パウロキリスト者相互の関係をどのようにとらえていたかを思いいつも感動する。殉教者としてだけでなく、キリストにある兄弟愛の手本としてパウロを描くことも可能だったのではないか。期待しすぎた自分がいけなかったと思いつつ映画館を出た。

 

メサイア第三部 キリスト再臨

 今年もまたクリスマスが近づいてきた。ここ数年、この時期になると掃除のアルバイト仲間とヘンデルの「メサイア」を聴きに行く。今年は私がチケットを買う当番で仲間と自分の席を確保した。

 メサイアは子供のころからなじみの曲で、クリスマスが近づくと聴く音楽だと思っていた。有名なハレルヤコーラスよりも、むしろ美しいソプラノ独唱「How beautiful are the feet of them that preach the grospel of peace.…」が好きだったことを思い出す。

 中学・高校と通ったミッションスクールで、毎年クリスマス礼拝にメサイアから抜粋した合唱が歌われるため、6年間、少しずつ何曲かを練習させてもらって、この曲がより身近なものとなった。卒業から何十年もたった今も、この曲を聴くとそのころを懐かしく思い出す。真摯な音楽に対する喜びと尊敬の気持ちを植え付けてくださった先生方にに心から感謝している。

 だが、夫を亡くした昨年、いつもの通り仲間と演奏会にいって、改めて第三部に心を打たれた。第一部は旧約の予言からキリスト降誕まで、第二部はキリストの受難と復活、そして昇天までであり、第二部の終わりにハレルヤコーラスが歌われる。ところが第三部は現在の私たちのキリスト待望(再臨待望)が主題となっている。

 よく葬式で朗読されるヨブ記「私は知る。私を贖う者は生きておられる。彼はついに(黄泉の)塵の上に立たれるであろう。私は肉を離れて、主を見るであろう」で第三部が始まる。それは、死を超えて神を信頼するヨブの信仰を表現しているが、ヨブ記では神ご自身が直接回答してくださることでヨブは満足した。だが、この歌詞では、ヨブの待望に応えるのは、「なぜなら、実際に、キリストは死者の中から復活され、眠りについた人たち(死者)の初穂となられたからです」(Ⅰコリント15:21~22)とキリストの復活という具体的な出来事である。これはパウロが、復活を否定する論敵(肉体の牢獄から魂が解放されることが救いと考える人々であったようだ)に反論した言葉である。だが私は、自分が信仰し待望する内容を改めて指摘された気がした。テレビのチコちゃんではないが「ぼーっと生きてんじゃないよ!しっかり(キリスト再臨を)待ち望め!」である。

 キリスト以外まだ誰も復活していない。だが、キリストの復活は人間が死の支配から解放されたという出来事なのだ。償われない死を死んだのは、ヒロシマナガサキアウシュビッツの死者たちだけではない。人間全体が罪と死の支配に苦しんでいる。身近な者の死を体験し、自分の生涯の終わりも視野に入ってきた今だからこそ、いっそう、キリストの義により希望が与えられたことを意識し感謝せねばと思った。

 音楽は、「終わりの日に、最後のラッパが鳴る時に、死者は復活し朽ちない者とされ、生者は朽ちない(死なない)者に変えられる」と歌っていく。「死は勝利に飲み込まれた」、「イエス・キリストによって勝利を賜る神に感謝しよう」と合唱される。そして「もし神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できますか。…人を義としてくださるのは神なのです。」有名なロマ書8章をソプラノが歌って、最後の「Worthy is the Lamb that was slain.…」とアーメンコーラスになる。最後のコーラスは、旧約や新約の信仰者たち・亡き愛する者たち、私たちの死後も生きる人々と声を合わせるような気持ちで聴いた。

 しかし、その後もまだじたばたと生活は続く。年があけて来春には、孫が小学生になり、学童保育のお迎えをする「おばあちゃん」生活がはじまる。今年の「メサイア」演奏を、仲間と共にどう聞くのか楽しみである。

 

 

 

 

使徒パウロ5、伝道旅行とエルサレム教会への献金、ローマへの護送・殉教

伝道旅行とエルサレム教会への献金、ローマへの護送・殉教
 エルサレム・アンテオキア両教会は、ユダヤキリスト者としてそれぞれ、ユダヤ人・異邦人伝道を分担することで合意が成立した。だがパウロは、(アンテオキア教会ではなく)自分こそがエルサレム教会と分担して異邦人伝道を担う使命があるとの自覚のもと、独立した伝道活動を開始した。ローマの州単位に拠点となる教会を設立し、第二回伝道旅行中に、すでにローマを拠点として帝国西半分を目指す計画を抱いたようである。
 彼は、まだ教会が設立されていない場所を選んで宣教し、主に異邦人を中心とする「ユダヤ人も異邦人もない」教会を設立していった。
 だが一方、イエスの死と復活の出来事と結びついたエルサレム原始教会と、設立した諸教会とを結びつけることも重要であった。それは、イスラエルキリスト教の連続性を確保するためであった。しかし、ユダヤ人たちには偏狭な愛国心から律法重視熱が高まっており、律法からの解放を唱える者を迫害する機運が起きていた。同時に、ローマ帝国ではキリスト教弾圧も始まっていた。パウロエルサレム教会への献金は、こうした情勢からすんなりと受け取られるのが困難であった。主の兄弟ヤコブは、この困難を回避するためパウロ個人としての敬虔な行為(ナジル人への喜捨)を勧めた。パウロが神殿でそれを行おうとしたところ、律法からの解放を唱えるキリスト教伝道者だと彼を知るディアスポラユダヤ人に見とがめられ、騒動となり、ローマ軍に逮捕され、カイザリアで囚人となってしまう。献金は失敗。彼もローマに上訴し、ローマで殉教する。
 以後、年表形式で伝道旅行とその間に執筆された書簡をまとめた。それぞれの書簡を読む上で、参考にしたい。これでパウロの生涯と活動のまとめを一応終える。
(49年)アンテオキアの衝突後まもなく出発、キリキアの峡門経由タウルス山脈を越え、アナトリア高原を西に
①デルベ、ルステラ(第一回伝道で訪問)を再訪、ルステラからはテモテが同行
②フリュギア・ガラテア地方(ガラテヤ教会設立…病気のため余儀なく滞在)
③港町トロアス(マケドニア人が伝道を懇願する夢を見て、マケドニアに向かう)
⓸ピリピ教会設立、官憲に捕縛されてテサロニケに去る
⓹テサロニケ教会(異教徒出身者が中心)設立、ピリピから何度か献金あり、また、自ら働いた。迫害を受けペレアに逃げる。ぺレアでも迫害され、アテネに。そこから、テモテをテサロニケに派遣。アテネ伝道は失敗し。コリントへ
(50年秋)コリント着、18ケ月滞在。(総督ガリオ)、Ⅰテサロニケ書執筆、
ローマを追われてきたアクラ・プリスキラ夫妻と出会い、彼らの家に滞在。
⑥コリント教会設立、ユダヤ教の会堂司クリスポ・ソステネ等も入信し、ある程度ユダヤ人にも浸透。だが、教会外ユダヤ人から総督ガイオに突き出される。
(52年春)コリントからエペソ経由、エルサレムへ。設立した上記6教会とエルサレムとの結びつきを図るが、失敗。アンテオキアに戻る。
第三回伝道旅行
(53年)アンテオキアからガラテア・フリュギア経由エペソへ
 (53年秋から55年)エペソ滞在(約二年)エペソ教会設立 
          Ⅰコリント書、ガラテア書執筆
     入獄、ピリピ4:10以下、ピリピ1~2章、ピレモン書執筆
          コリント教会との関係悪化、
       Ⅱコリント1:3~21、2:14~6:13、7:2~4執筆
     コリント「中間」訪問(不当な仕打ち受ける)、
       Ⅱコリント10~13章執筆
(55年)マケドニアへ。コリント教会との関係好転、
       Ⅱコリント1:12~2:13、7:5~16、8~9、執筆
(55~56年)コリントへ、3ケ月滞在。ここを拠点としてエルサレム献金を集結。
     ロマ16章(エペソ教会あて)、ピリピ3章、ロマ書執筆
(56年春)献金を携えてエルサレムへ。逮捕される。
(56~58年夏)カイザリアで未決囚(総督はフェリクス、その後フェストゥス)
(58年秋)皇帝に上訴、ローマに護送
(59年頃?)処刑