最近、書店でNHKラジオ番組宗教の時間のテキスト「新約聖書のイエス」という本を見つけ、読んでみた。教会の説教とは違う角度から取り上げられていて、興味深く読んだ。だが、ある程度はすでに私が知っている部分もあった。
しかし、一番ショックだったのは、最後の晩餐始め当時のイスラエルでの会食とは、ギリシャ同様寝そべって食べる形式だということだった。プラトンの「饗宴」などでは当時は台に寝そべって食べたり飲んだり、会話を交わしたりしたということはなんとなく知っていた。また、それを知らないでは「饗宴」を読めないだろう。
処が、イエスの時代のイスラエルでの会食も、その同じ寝そべって食べる形式だということを、この本で殆ど始めて知ったのである!クリスチャンホームで育ち、子供の頃から聖書に親しんでいたのに、今まで気がつかなかったとは、なんたることであろうか。何で誰も教えてくれなかったのだろう。思えば、礼拝堂に飾ってあったレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵が、テーブルを囲んで椅子に腰掛ける形で描かれているのが、無意識にそう思い込ませてしまったのであろう。道理で、弟子がイエスの胸に「寄りかかって」いたなどの記述があるわけだ。それまで、お行儀が悪い弟子だと思って居たのである。
考えれば、映画などでみるローマ皇帝ネロの饗宴などは寝そべり形式なのだから、当然その当時の一般の市民の会食も同じ形式であったはずだ。ところが何故か、イスラエルの食卓はテーブルと椅子と思い込んでしまったのである。だから、ベタニアでの塗油もなんだか具体的にイメージ出来なかった。ザアカイ宅でイエスが会食についても、その食卓の交わりがザアカイにとって非常な感激と喜びであったこともイメージを新たにできた。
まったく、自分ながらお恥ずかしい限りである。しかし、絵のイメージとは強烈なものだ。子供の頃みた「最後の晩餐」の絵のイメージが、どこまでも残ってしまう。日曜学校や聖書の授業などで、こんな基本的なことは教えて貰いたいものだとつくづく思う。