inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

邦訳「天官賜福」第一巻 感想

 やっと中国語BL小説「天官賜福」の日本語翻訳本第一巻が発売された。アニメで夢中になり、有志翻訳で続きを読み、有志翻訳されていない部分は原文を魔翻訳してまで読んでいるから、話の筋は大体分かっていても、じっくりと翻訳されている書籍文章を読んで行くのは実に楽しい。
 アニメや魔翻訳では、どうしても主人公「謝憐」を恋慕う鬼界の覇者「花城」の恋の行方が気にかかり、二人の関係にばかり気をとられがちである。だが、小説として読んでみると、三度も飛昇(人界から神仙界の者となること)した謝憐の人柄がじっくりと書き込まれていて読者を惹きつけずにおれない。
 一度飛昇して神仙となった者はそのまま神仙であり続けるか、それとも資格を失い(久米仙人のように)地に落ちたらそのまま唯の人になるかどちらかしかない。それなのに謝憐は、いったん地に落ちて再び飛昇し、しかも二度目に飛昇した時は、飛昇した途端に天界で大暴れし、線香一本燃え尽きる程の時間(30分ほど?)ですぐまた地に落とされてしまったのである。何の為に飛昇したんか?天界は呆れ果てて、その評判は語り草となった。それからまた800年経て、またもや三度目の飛昇を果たした。となると、もはやそれ自体、天界・人間界・鬼界の三界の笑いものでしかあり得ない。
 17才で最初の飛昇を果たした謝憐は、天の寵児であった。彼は富裕な国の太子として生まれ、民と両親の愛情を一身に集め、容貌にも才能にも恵まれていた。両親は「我が子は、天下の名君として歴史に名をのこすであろう」と期待しそれを公言していた。だが、彼の望みは「私は神仙となって、万民を救いたい」であった。「万民を救済する」など、例え神仙であっても不可能な事である。天界の王、神武帝さえ「それは不可能だ」と言ったのである。だが、謝憐は「私にはできます」と断言した。
 その志が彼の墜落の原因となった。自国に大乱が起きた。彼は人界に舞い戻って救済しようとしたが、自国を救うどころか、かえって滅亡する元となってしまったのである。人民は彼の社に火を放ち、不運をもたらす疫病神とされてしまった。二度目の飛昇後の大暴れの理由は分からない。だが、天界のやり方に対するある種の反抗であったのだろう。だが二度目の飛昇・墜落後は、人界で大道芸やガラクタ集め(廃品回収業)などしてひっそりと身を過ごしていたのである。なお、天界に背いた罰として、彼は死ぬことができない(ワーグナーの「さまよえるオランダ人」みたいなものだ)。また、老いることもできない。ちょっと考えると「不老不死」は祝福のように思えるが、死によって人間性から解放されることができないことは、実は呪いなのである。
 このような謝憐が、自分を祭る社一つなく神仙であること自体、相当に辛い状況に違いない。何の目的あってor何の為に、飛昇したのだろう?まず、この疑問が読者の胸に浮かぶ。
 800年も経つと、天界の住民もあらかた入れ替わり残っていたのは天帝以外では、かつて彼の副将として天界に連れ昇った風信と慕情という二人の神官以外いない。しかも彼らとは、謝憐についていけずに出て行った因縁ある間柄なのである。その後、二人とも飛昇し、今や東南および西南の地域の大武神としてそれぞれ八千・七千の社をもつ大勢力の神官(神仙)なのである。今や玄真将軍となった慕情は、謝憐との行きがかりを忘れやらずチクチクと皮肉めいた言葉で彼を刺す。南陽将軍・風信との再会も気まずいものであった。
 アニメでは、最初から与君山での鬼花婿退治という大活躍があり、これら謝憐の天界での居心地の悪さと、そんなにしてまで飛昇したいわけ(理由)があまり追求されていなかったが、小説で読むと、まずこれが大きく読者の心に残る。
 ともかく飛昇後、神官としての初任務を大成功で果たし終え、その報償で三度目の飛昇による振動で天界の建物や鐘を破損させた損害を賠償することもできた。気軽になって身にしみるのは、天界では全く時代遅れで相手にされないことである。誰にも相手にされない孤独のなかで、ふと思いついたのが「こんなところで無為に過ごすより、人界に戻って自分の社をたて、自分で自分を祭ってみる」という事である。これを聞いた神官達はあきれかえる。「自分で自分を祭るなんて、なんて惨めなんだ。何の為に神仙になったの?」である。謝憐は気にせず、早速人界に飛び降りて廃屋を見つけ、それを自分の社にすることにした。幸い美しい山村で、住民達も放浪の道人に親切にしてくれる。廃屋を掃除して、社に必要な香炉やその他を買うため、及び自分の生計を立てるため、やりなれたガラクタ集め(廃品回収)に町に出かけた。その帰り道、乗せて貰った荷車に同乗していたのが世にも美しい紅衣の少年三郎(さんらん)であった。彼は実は鬼界の王「花城」であり、与君山での鬼花婿退治にも正体を隠して協力していたのである。
 花城が「正視できないほどの」美貌の少年であるという描写は、納得できる。激しい恋をする人はオーラが高まり、どのような顔立ちであろうとも驚くほどの美で人を感動させる。それは、私達自身も経験するところである。まして800年の間、謝憐への一途な愛故に死んでも魂魄が散らず、鬼(死んだ者の霊魂)となって謝憐を追い続けた魂である。そのオーラの放つ美は、いかほどのものであろうか。
 世にはプラトンのいう「美のイデアが影を落とす」人物が存在する。女性はもともと化粧や装いで美しくあろうとし、その美も長持ちするから「美のイデアが影を落とす」と形容される人はあまりいない。「影を落とす」とは、一時的に通過していくという意味合いがあり、それは限られた僅かな期間のみである、ということを意味している。これが、ホンの二・三年に過ぎない少年の美(男性とも女性とも余り区別のつかない)であることは明白である。短期間で過ぎ去ってしまうからこそ、イデアそのものを想起させるのである。
 だが、謝憐が出会った三郎の美は、そのような何かの理想を想起させる美ではない。むしろ、彼に向かって引き絞られた弓矢のような迫力を持っていた。だからこそ、向き合ったとき、謝憐は思わずその美に耐えられず目を伏せてしまうのである。この辺の描写が、恋愛作家として著者の力量の見せ所である。
 行き所がなく放浪しているという三郎を、謝憐は自分の廃屋(社to be)に泊めることにした。社といっても、肝心の神像がない。仕方なく、謝憐は自画像を描いて神像にかえることにした。ところが、翌日目が覚めると、片手に花、片手に剣を持った典型的な彼の肖像画「花冠武神」の絵が、神像として掲げられていたのである。勿論、三郎が描いたものである。800年の間、祭られたことのない自分の神像を知っていること自体、ただ者ではない。謝憐は密かに三郎の正体を知ろうとするが、唯の少年としての姿にはどこにも破綻がないのであった。
 そして直ちに半月関の亡霊退治の事件が開始する。砂漠にあるシルクロードの関所「半月関」には、滅亡した半月国の兵士達の亡霊が出て、通過する隊商の半数を食い殺すと言うのである。謝憐は直ちに人々を苦しめる亡霊退治を決心する。天界にサポートを依頼するが、この事件に関わるなといわれるばかりであった。しかし、鬼花婿で志願して彼に協力してくれた若い神官達二人が、今回も思いがけず彼を手伝いにやって来てくれた。お陰で砂漠まで歩く必要なく、縮地法という魔法(どこでもドアのようなもの)で瞬間的にシルクロードの砂漠に着くことができた。驚いたことに、三郎まで神官達に交じってついてきたのである。神官達二人も彼を怪しいと睨み、様々正体を明かそうとするがどうしてもできない。砂嵐を避けて入り込んだ洞穴には、すでに先客の隊商達がいた。洞穴は先住民である半月人によって人為的に作られたもので、驚いたことに敵対する永安国人(当時の中国人)の「将軍」を顕彰する半月語の碑が残されていた。解読すると、中国人でありながら、敵対する半月国人を皆殺しにしようとはしなかった人物であるが、戦いの最中に靴紐が緩んで転び、そのまま踏み殺された、とある。その滑稽で惨めな最後に、一斉に笑い声が上がった。
 その時、「毒蛇だ!」という悲鳴が上がり、サソリの尾とコブラの牙を持った半月国特有の毒蛇の群れが出現する。慌てて洞穴から逃げ出すと、砂嵐は既に終わっていたが、隊商のリーダーは毒蛇に噛まれていた。これを解毒するのは、半月国遺跡にしか生えない善月草という植物しかない。

 なお、洞穴から逃げ出した後、隊商のリーダーを介抱しようとした少年の背に毒蛇が這登り、噛もうとしたのを謝憐が防ぎ、自分自身が毒の尾に刺されてしまう場面がある。これはアニメでは隊商の少年が毒蛇に狙われたように描かれているが、原文では蛇が襲いかかろうとしたのは三郎である。だから、謝憐が刺された事で一番ショックを受けたのは三郎であり、謝憐を護ろうとしてついてきた自分が謝憐の負傷の原因になってしまったことに衝撃を受けるのである。三郎に毒を吸い出すために手を握られた謝憐が、その手が何だか震えているように感じたのは、最愛の人の肌に初めて唇で触れる三郎こと鬼王花城の緊張と畏れと、自責の念からであり、震えていたのは三郎=花城だったのである。以後、半月国遺跡で正体を現すまで、三郎はあえて謝憐に話しかけることすらしない。謝憐への申し訳なさに苦しんでいたからである。

  謝憐一行は、解毒作用のある善月草を採集するため、隊商のガイドの案内で直ちに遺跡に向かった。だが遺跡で、半月国兵士達の亡霊に遭遇し、密かについてきた隊商の人達もろとも捕らえられてしまう。半月国兵士亡霊は、捕虜を、冥福を得られない半月国亡霊の供物として、坑に投げ込まれようとしたが、三郎と謝憐は彼らに代わって自ら坑に飛び込んでいく。ついでに亡霊の指揮官も一緒に坑に引き釣り落とす。すると、坑の上で絞首刑にされたままでいた少女の死骸が生き返り、残りの兵士亡霊を全て坑に投げ落としたのである。
 坑の底では、亡霊達は全て皆殺しにされており(つまり怨霊が散らされていた)指揮官の将軍・謝憐と鬼王である三郎・心配して後からやって来た神官の一人・同じく後から坑に入ってきた死骸だった少女の5人の因縁対決となる。無論、少女は、半月国を皆殺しの滅亡に導いた妖道「半月国師」であり、将軍はそれを恨んでお互い亡霊となっても「半月国師」を絞首刑にし続けていたのであった。だが、それも怨霊が全て散って、「終わった!」のである。しかし、半月国将軍の彼女への恨みは消えない。相変わらず少女を殴りつけた。
 それをとめようとした謝憐は、彼女がかつて半月国で暮らしていた時に知り合った少女であることに気づく。かれは、800年の間、人界をさまよっていた。そして、洞穴の碑にあった踏み殺された「将軍」は、謝憐自身だったのである。彼の(見かけ上の)死は、戦闘に巻き込まれそうになった子供の半月(半月国師の実名)を助け出そうとした為だったのである。

 また、坑の暗闇には彼ら以外にもう一人潜んでいた。事故のように坑に落ちた、隊商ガイドである。実は、彼は半月国を皆殺しにし、その功績を足がかりにして飛昇した神官「小裴将軍」だった。この悪行が天界で騒ぎとならないよう、ひそかに無辜の人間達を亡霊の餌食としていたことがあきらかにされる。この人物も、当時の半月と共にかつての永安国将軍であった謝憐に助けられた子供であったのである。
 こうして、半月国遺跡を巡る因縁が全て明らかになると、天界から人界の悪事を見張るためにやって来た大神官「風師」が登場する。無辜の人間を餌食とした罪を問い、半月国将軍と小裴将軍を連行していく。残された半月国師はもはや姿を留める力も失い、霊体となって壺に収められ、謝憐が持ち帰る。毒蛇に噛まれた隊商リーダーも無事解毒され、旅を再開することができた。隊商と分かれるに際し、ひそかに一行の後を追い半月国遺跡についてきた隊商の少年「天生」は謝憐に言う。「兄さんは、本当は神仙なんだろう!僕は、あなたが仙術を使うのを見たんだ。帰国したら、あなたの為に社を建てるよ。うんとおおきいのを、ね」。実際には、仙術を使ったのは彼に従ってきた神官であり、謝憐自身は何も特別な技を見せてはいない。だが隊商の少年は、自分も毒蛇に噛まれたりするさえない貧しい身なりの謝憐こそが、不思議な力を持った一行のリーダーであり、彼の「人々を救いたい」という意志が一行を動かしていることを直感的に悟ったのである。大人ではなく、素直な子供の目だからみえる事実であった。社を建てるためには莫大な費用と権力が必要であり、少年が言ったとおりのことを実現できるとは思えない。だが、謝憐は感動する。この願い「万民救済」の為にこそ、彼はどんなに挫折して失敗して笑いものに成り果てても、飛昇して神仙となりたかったのである。誰にも打ち明けない、謝憐の心の奥底の悲願が一瞬垣間見えた。この一文があるからこそ、アニメや魔翻訳ではなく、文章として読みたかったのだ。
 ヘトヘトになって社にした廃屋に帰り、正体が分かった三郎こと鬼王「花城」と語り合う。その時、霊体になって壺に収められた半月(半月国師の実名)が壺に入ったまま外に出て、空を見上げる様子を見せた。そして謝憐と語り合うのである。「あなたは、私に『若い日の自分の望みは、万民を救済することだ』と言ってました。私もそうしたくて、永安国人を殺させまいと半月国を裏切るような事をしてしまったのです。何もかも無残な失敗でした。では、どうしたら良かったんでしょう。どうか、教えてください」。謝憐は胸が詰まる。それは、彼女の問題である以上に、自分の問題だったからである。望みを抱くこと(若い日には希望であり、かつ現在の苦境の根源であり続けること)の悲しみと憧れが胸に迫ったのである。
 疲れ果て眠りにつくと、翌朝、隣に寝ていた三郎こと花城の姿はなかった。そして、謝憐の胸に、銀の鎖につないでダイアモンドを磨いて作った以上に透き通り輝きを放つ指輪がぶら下がっていたのであった。次巻につづく。
 楽しんで、邦語訳された「天官賜福」第一巻を読んだ。続きが発売されるのは、まだまだ先であろう。だが、主人公が密かに抱き続ける「万民救済」の願いが、どのように果たされていくのか、あるいは果たそうとされてゆくのか、彼を巡る神官達や鬼、そして人間達の哀歓と絡み合いつつドラマが展開していく、その描写をじっくりと楽しみたい。荒筋や結末は知っているが、そこに至る過程とその描写が肝心である。ドラマって、そういうものではないだろうか?