inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

服部真澄著「千年の眠りを覚ます『伊勢物語』」

 一月ばかり前、思いがけず心筋症の発作で入院し、もしかしたら人生終わりかななど思ったことがあった。その際、思い出した事と言ったら些細な心残りばかりで自分でも苦笑してしまった。そして連想したのが、伊勢物語の呆れた「世心つける」老女の段である。「百歳に一歳たらぬ九十九髪、我を恋うらし面影にみゆ」。
 そんな暢気な事を考えるのだから,本気で死ぬとは思わなかったと言うわけだ。しかし、そんな場合に、聖書の言葉でもなんでもなく「伊勢物語」を思い出したことが我ながら意外だった。そんなにもこの物語が自分の中に染みこんでいたということである。
 授業の参考書として買った訳文付原文に、心惹かれて読んだのが最初であった。とっくにその本も失い、他に夢中になって没頭した本も多かったのだが、不思議なことに伊勢物語のそれぞれの段とその和歌だけば時折思い出されるのであった。主人公業平の心優しさが好きだったからだろう。光源氏は傲慢に思えて余り好きではないが、業平はそうではない。しかも実在の人物である。
 業平の歌は「心余りて言葉たらず」と評されるが、逆に「言葉余りて心たらず」の技巧的和歌よりよっぽど好ましい。息をするように、自然に和歌を詠んでいるように思える。もう自分の限界も見えた今、これは本気で読み直してみようと訳注付の原文を購入した。また、ついでに解説本として標題の服部真澄著「千年の眠りを覚ます『伊勢物語』」も買った。これが非常に面白く、伊勢物語ファンとして目からウロコの気持ちにされた。
 以前、評判になった高樹のぶ子著「小説伊勢物語 業平」を読んでみて、初冠の次の段での西の京の女との出会いが、どうも気に入らず途中で投げ出した経験がある。原文は、女は「世人にはまされり」「かたちよりは心なむまさりたり」と大層褒めて書かれており、業平自身も十六・七の純粋な年頃である。そして彼女と「うち物語らひて、帰り」、有名な「起きもせず寝もせで夜を明かしては、春のものとてながめ暮らしつ」の歌を送っているのだから、業平に忘れがたい深い印象を残した筈だ。それなのに、女を男慣れした中流以下の年増女に描かれては、げっそりしてしまったのである。
 ところが、西の京といえば中流以下の貴族の邸宅という常識を覆す発掘が最近あった。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原良相の邸宅が西の京に存在した事が明らかになったのである。ということは、この「西の京」の女はその令嬢、後の文徳天皇の女御となった多賀幾子と推定できる。すると、「春のものとてながめ暮らしつ」の下の句は、春宮(皇太子=後の文徳天皇)のものとして(自分には手の届かない身分の御方だと)思い悩んでおります、という意味になり、物憂い春の情緒以上の意味をもった歌ということになる。そして六十五段、女がいよいよ宮中に上がると、人目も憚らずその局に上がり込んで会いに行く男の狂態と、その結果、男は流罪、女も仕置きとして倉に押し込められるという事件が、実在感を持って迫ってくる。文徳天皇の最愛の人は、この女性ではなく身分の低い更衣(なんとなく源氏の母の更衣を思い出す)であったから、罰せられ流罪にされたといっても夜毎に宮中近くまで通ってこれる近場に流されたのである。夜毎に男は自分の心を女に伝えようと女のいるあたりを笛を吹き鳴らつつ歌い歩くのである。女はそれを聴いても、倉に押し込められて逢うに逢えないのであった。男も遂に再会できないままに「いたづらに 行きては来ぬるものゆえに 見まくほしさにいざなわれつつ」とうたった。この女が、後に盗み出したが取り返されたお妃候補高子(後の二条の后)である筈がない。

 この女を多賀幾子と想定すると、それから年月が過ぎ「右の馬の頭となりける翁」となった男が、この女(文徳天皇の女御)が亡くなった法要の席で「山のみな うつりて けふにあふ事は はるのわかれを とふとなるべし」に同席者達が感動する話も納得が行く。法事は初冬のころであるのに「はるのわかれ」と、お釈迦様が入滅された春に自分(および彼女の)春(=青春と初恋)を重ね会わせた挽歌だと皆が分かったからである。二人の事情を知らなかったならば、あまり上手でもないこの歌に皆が「あわれがりけり」な筈がない。それを知らないでこの段を読んでも、何の話か分からなかった訳だ。

 このほか、様々な段で著者は新解釈を繰り広げており、主人公業平の人生と情熱の軌跡がありありと浮かんできて、何気なく読み飛ばしていた段とその和歌も新しい意味が見えてきたように思う。全ての解釈に賛成する分けではないが、原文にあたりつつ、この本の解説を読んで、伊勢物語に新しく目が開けた気がした。源氏物語を書いた紫式部も、伊勢物語に大きく刺激され意識していたことであろう。次はこの著者による「令和版全訳小説伊勢物語」も読みたくなってくる。
 願わくば、字の大きく老眼に優しい本でありますように。