inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

墨香銅臭作「人渣反派 自救系統」

 神は預言者に一つの幻を示して言われた「アモスよ、あなたは何を見るか」。アモスが「一かごの夏の果物」と答えると、神は「わが民イスラエルの終りがきた」と語られた。
 これは、預言書中でも最も印象的な場面の一つであり、私は子供の頃から「瓜」や「西瓜」そして「無花果」といった夏の果物を見る度に思い出したものだ。今、冷えた完熟マンゴーを前にして、この神の言葉を自分自身の終りの予言のように思い出している。実際にはまだまだ生き延びるだろうけれど、心臓に弱さを抱え、その上急性内斜視で視力も低下しているとなると、自分の限界を痛感せずにおれないのである。
 このブログも,読み終わった本の感想を記録しようと始めたのだけれど、この分では読み終えられない本も多々出てきそうである。何も有名な古典ばかりではなく、自分が興味を覚え楽しんだ本について書いている。標題の「人渣反派 自救系統」も、以前取り上げた「魔道祖師」と同じ墨香銅臭作BL小説である。日本語訳が出版されていないが、ネットで有志翻訳しているブログを発見し、それを楽しみ読みしている最中である。無条件に読めるのは原著が無料公開されている部分だけであり、それ以降は原著の中国語書籍購入者のみ限定で読めるようになっている。それにしてもまだ全部翻訳されていない。じれったいが、自分も視力低下したし、興味が続いて読み終えることがあるのかどうか分からないので、読み終えていないまま感想を綴ることにした。
 まず、その構成が斬新である。『狂傲仙魔途(きょうごうせんまと)』というネット小説に夢中になった現代青年沈垣が、その結末に激怒したあまり急死してしまい、その小説の世界に転生するというものである。「それ程、気に入らなければ自分でやれ!」という声が響き、気がつくと小説世界の人物、しかもぶち殺される筈の悪役に転生していた。人棍(手足をもがれる残酷な刑)にされる運命から逃れるために、必死に小説の筋を転換させねばならない,一種のコンピューターゲームである。
 原作の『狂傲仙魔途』は、1本のハーレム系エロ小説であり、「モンテクリスト伯」のように小説前半で残酷に迫害された主人公が、追いやられたどん底の状況で不思議な縁によりチート級の能力を得て、後半は自分を迫害した者達に徹底的に復讐するという話である。その荒筋に、読者サービスのエロと痛快な暴力的復讐が絡まり「まさに今年度最高の大人気ハーレム小説といって、過言は無い!」。
 読者人気に支えられ,3年の長きに渡って続いてきた小説がいよいよ結末を迎えた。ところが、である。復讐を果たし終えた人物というものは、モンテクリスト伯にしろ、雪之蒸七変化にしろ、寂しく世を去るべきであるのに、主人公「洛氷河」は後宮三千人の美女を擁し、無数の子孫に囲まれ、仙人界・魔界・人界を統べる支配者として栄えに栄え、めでたしめでたしのハッピーエンドなのである。
 これには、まともな文学青年である沈垣がぶち切れてしまった。読み続けてきたのは、様々な文学的伏線に気づいたからであり、これがどう展開されるか楽しみにしていたのである。それが何一つ展開されないまま、こんなふざけた終わり方をされて堪るか!「ネット文学網に払った金返せ!」という訳である。
 沈垣が転生したのは、主人公「洛氷河」の仙術師匠「沈 清秋(しん せいしゅう)」であり、主人公の素質に嫉妬して虐め抜いた上、最後は人界と魔界の狭間である無限深淵に突き落とすという役割を果たす。ところがその無限深淵で、モンテクリスト伯が財宝を得たようにチート級能力を主人公が得るのである。まず魔界を征服し、人界および仙人界に戻った主人公は、自分を虐めた相手に対し徹底的な復讐を果たすことになる。
 しかし、転生して「沈 清秋」になってしまった以上、必死に弟子「洛氷河」を可愛がり関係を良くしようとするが、その結果、予想外にも、今度は主人公「洛氷河」に男同士でありながら恋慕われてしまうというBL小説になっている。
 まさか自分の弟子に、同性愛的恋慕を寄せられるとは、思いもよらない。それが、漫画「エロイカより愛をこめて」で怪盗エロイカに同性愛を寄せられて困惑するエーベルバッハ少佐のようで、腹を抱えて笑ってしまう滑稽さがある。大体、BLとはどこか勘違いしたような滑稽さがある。それをまともに捕らえている点が、次作以降の「魔道祖師」や「天官賜福」と違って、「普通の」者である私の感覚には納得できるのである。
 すべて読み終わっていないが、これも「魔道祖師」以上に露骨なセックス描写がある。しかし最初は抵抗があったこうした描写も、「魔道祖師」で慣れてしまったというか、繰り返されると何とも感じなくなるものである。洛氷河は童貞であるから、師匠とセックスしようにも何も分からず不器用この上ない。それが滑稽でもあり、愛らしくもある。チート級主人公だから先天的精力絶倫であるのに、技術的な下手さとのアンバランスが、ユーモラスである。
 だがコンピューターゲームらしく、原作の『狂傲仙魔途』の重要な筋書きである,洛氷河を無限深淵に突き落とすという事件は省くことができない。小説の主人公洛氷河がチート級能するためにする必須条件だからである。可愛がっており、しかも自分を慕い信頼しきっている洛氷河を、突き落とすのである。これでは原作より、かえって残酷なことになってしまう。この苦悩を経て、二人の愛憎が複雑に展開してゆく。その過程が、酷くもあり、奇想天外の空想力とホロリとさせる情愛ありでなんとも面白い。
 また、同僚の仙人達との交流も、唯の人間であった頃からの因縁もからみ、複雑な人間同士のヒューマンドラマ描写になっていてそれ自体としても面白く嫌みがない。そして、『狂傲仙魔途』で「へのへのもへじ」のようないい加減な人物描写しかされていなかった脇役モブキャラたちの哀歓も丁寧に描かれていて、気分が良い。「魔道祖師」の悪役「金光瑶」の末路のようなやりきれなさがない。ひどく残酷な描写もあるが、全体に恋愛肯定的で、読んでいて楽しい作品である。
 「魔道祖師」や「天官賜福」と比較して、急速な事件の展開や、奇想天外なファンタジー力(登場する魔獣や魔界の人物?の描写)という点で娯楽作品として優れているように思う。墨香銅臭の作品の英訳版を少し読んでみたが、明らかに原作と異なる表現が混じっており、翻訳というものが信用おけないものだとの思いを強くした。ちゃんとした日本語訳で読んでみたいが、その一方で読み進めてきた同じ有志翻訳で読み終えたい気持ちもあり、出版社にせがんで翻訳権を獲得するようせかす気持ちにもなれない。正式な翻訳権獲得があれば、有志翻訳は削除されるだろうからである。
 いい年をした老婆が、こうしたBL小説を楽しむなんて少し気恥ずかしい。だが、この年になったんだから、もう好きなように好きなことを楽しんでいいんじゃないかという気もしている。そうでしょう?