inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「エゴイスト」

 映像作品は完全に娯楽のためと思っているので、深刻で悲しい話は敬遠するのだが、偶々レンタルビデオ店に返却に行ったら標題の映画がDVD新作レンタルされていた。小説も読んだことだし、鈴木亮平さんのファンでもあるので借りてみた。
 原作では、主人公の恋人隆太は仕事がきついからもう会えないと言って去っていった。しかし本当の理由は、男娼だからであり、主人公との恋愛関係があると身体を売るのが辛いからである。主人公は、突然の別離に苦しんだ末、やっと男娼だと気づく。だが、映画では、隆太が自ら告白する形になっている。学歴も技能もなく、病身の母親との生活を支えるためには、身体を売るしかないと言って別れる。映像化するためには、その方が分かりやすい。そして、同じく原作にはない隆太が売春するセックスシーンが二回も描写されている。身体を眺め回され「背が高いね」とか「色が白いんだね」など言われ、愛想笑いしてなんの情愛のやり取りもなく、終われば金を渡され、「また指名するよ」等と言われて出て行く。そういうものだと想像はつくが、映像でみるとなおさら、売春する屈辱感と惨めさが伝わり、哀れであった。
 主人公は、男娼紹介サイトで身体だけの写真から彼を探し出し、手当を与えて男娼を止めさせ、他のアルバイトをするように説き伏せる。その展開はホッとした。肉体労働はきついだろうと主人公に気遣われて、隆太は「本当の仕事を、お袋に言えるのが嬉しいんです」と健気に笑いながら言う。
 母親の通院のために中古車まで買ってもらって、隆太はどんなに嬉しかっただろう。車が手に入る事自体より、母親以外には愛してくれる人も友達もなく、その母にさえ男娼であることを隠す寄る辺ない孤独な若者が、初めて自分を支え愛してくれる相手に出会えた嬉しさと幸福感である。慣れない肉体労働にくたくたで居眠りしそうになりながら、それでも車が嬉しくて「ねえ、次の日曜日、海にドライブしない?」と、甘えたりする。それまでの重苦しい孤独から解き放たれた幸福感を、その台詞から感じた。そして、そのドライブの朝、目覚めないまま世を去ってしまう。突然死の原因は不明だが、私にはそれまでのストレスからの解放感で死んだように思えた。
 隆太の死後のその母と主人公との関係の描き方は、むしろ映画の方が良かった。夫に捨てられ、息子を高校中退させて養って貰わねばならない病気持ちの母親の辛さは、どんなだったろう。その息子の死後、息子の恋人が金を渡して世話してくれる。受け取れる筋合いはない。だが、受け取る。死んだ息子が、その恋人の中に生きているように思えるからだ。一方、恋人隆太に死なれた主人公も、彼の母を世話することで彼との絆が絶たれず続いているように思える。息子を失った母と、恋人を失った男が、息子であり恋人であった隆太を通して結ばれていく有様が感動的だった。ラストで、癌で死期の迫った彼女は、見舞いに来たが眠っているのでベッドサイドを離れようとする主人公に「まだいかないで側にいて頂戴」と甘え、主人公は戻って彼女の手をにぎる。二人が、亡き隆太へを通して一つに結びついている事を示す場面であった。
 檀一雄の「リツ子その死」では、妻のリツ子の死後、主人公と一緒に献身的に看病したリツ子の母は、妻が死んだ以上縁が終わったと、主人公から冷酷に突き放されてしまう。愛する者を失った悲しみを共有していても、そういう事もある。それに比べ、戦争直後と現在との豊かさ豊かさの違いはあるだろうが、この作品のラストシーンは美しかった。