inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

ドラマ「フェロートラベラーズ」…性欲と愛情の関係

 1950年代から1987年頃にかけての、アメリカ合衆国の同性愛者男性二人の愛憎の歴史を、同性愛者差別や黒人差別などの政治問題と絡めて描いた8話完結のドラマである。 「赤狩り」で有名なマッカーシー旋風が、単に「共産主義」を排除しただけでなく、同性愛者をも排除するものであった事は、はじめて知った。勿論、ピューリタニズム濃厚なアメリカの伝統からいっても、同性愛者は社会的に蔑まれ差別されたであろう事は当然分かっていたが、共産主義者として排除された者より同性愛者として排除された者の方が数多くいたということもはじめて知った。
 子供の頃読んだ漫画の「リボンの騎士」は、女の身体に男の心が入って生まれてしまうが、同性愛者も同じく後天的にではなく、同性を性的対象とするように生まれついてしまうようだ。そのように生まれてしまった主人公の男ホークは、それなりのブルジョア家庭出身だが高校卒業間近にテニス仲間(男性)との性的接触(それは彼の初体験であった)を父親に目撃され、家出して、別のテニス仲間の家に引き取られる。彼は、引き取られた家庭の父親の上院議員スミスに可愛がられ、息子同然に扱われて育った。第二次世界大戦に従軍し、戦勝国の英雄の勲章を持ち、しかも有名大学卒、3ヶ国語を話し、特別な政治的信念をもたないという、無敵の国務省エリート官僚である。だが、一夜限りの性的充足を求めて密かにゲイの出入りする場所に通っている。
 彼の恩人であるスミス上院議員は、マッカーシーと同じ共和党であるが穏健派で、苛烈な同性愛者排除の動きに批判的である。ホークは、どんな汚い手段を用いてもマッカーシーら過激主義者から彼を守ろうと思っている。
 そんな彼は、同僚の同性愛者が密告され、別の同性愛者を密告すればゲイであることを公表せずに自主退職を認めると脅迫されていると相談される。公表されれば職を失うだけでなく家庭も崩壊してしまうのである。そこで彼はたまたま知った一夜限りの相手(労働者階級)の名前を教えて密告させる。だが、その密告された男が自殺を図ったと聞くと、あるったけの貯金をはたいてその男の郵便受けに入れる程度の良心は残っていた。その辺の描写は、ホークのいやらしさを感じさせる。
 ある日、彼は共和党の選挙開票場でマッカーシー崇拝者の青年ティムに出会い、男好きの心に留まった。その後、公園ベンチでランチ中の彼に出会い、大学卒業直後であり国務省勤務を希望して上京したことを知る。そして何とマッカーシー議員の事務員の職を世話してあげたる。マッカーシー崇拝者のティムは喜ぶが、その見返りとしてマッカーシーの動きを探って報告させ、スミス議員に有利に動くための手段でもあった。
  二人は当然肉体関係を持つ。純粋で熱心なカトリック信者のティムは、ホークに夢中になる。ホークも、一夜限りの情欲充足対象としてではなく、彼の純真さ愛らしさに心惹かれる。だがゲイ排除の動きは過熱し、スミス議員の息子まで公序良俗違反で逮捕される。息子がゲイである事を公表されれば自分の政治生命が終わるだけでなく、息子を含めた家族全員が破滅することを怖れたスミスは自殺してしまう。残されたスミスの家族は、事実上ホークに委ねられた事になる。彼がスミスの娘ルーシーと結婚せず独身を続ければ、ゲイの疑いを高めるだけでなく、恩人への義理も果たせなくなる。そしてそれは、ホークの上昇志向にも背くことであった。彼は恋人ティムにルーシーとの結婚を告げる。マッカーシーが嘘つきの扇動政治家に過ぎないことを知って辞職したティムは、ホークを忘れるために朝鮮戦争に志願する。
 二人の間は途切れるが、ハンガリー動乱の難民問題が生起した時、ティムから電報を受ける。「ハンガリー難民を支援して下さい!」。そして再会。ティムから「従軍してもあなたを忘れられなかった」と告げられ、二人の仲は再燃する。ホークはティムを新設する「ハンガリー難民支援室」に斡旋した。だが、二人の仲が進展すると同時に、ルーシーの初めての出産が迫っていた。自分の妻子(家庭)を守り、立身出世の妨げにならないよう、ホークは敢えてティムの正式採用前に彼をゲイの疑いありと密告する。公務員でなければゲイである事は公表されない。そして国務省に彼の姿が見えなくなれば、ホークもノーマルな家庭人として男性との性行為を避ける事ができると計算したのである。
 ティムは怒ってホークに会いに行く。だが、ホークは妻が出産した病院にいっており、ティムは新生児室のホークの息子(ジャクソン)を見て、身を引く決意をする。
 十数年後、ティムはベトナム戦争に徴兵される者達の名簿を焼き、警察に追われる身になる。密かにティムの動静を伺っていたホークは、彼を自分の別荘の山小屋に隠し、ティムの仲間の老神父が身代わりに自首するから身を潜めているように勧める。だが、山小屋でホークの息子ジャクソンに出会ったティムは、ホークの家庭の為にこれ以上世話になってはいけないし、身代わり入獄させての保身は良心が許さないとして自首。十年以上の入獄生活を送る。
 その後、ティムは同性愛者支援の病院に勤務するようになる。ホークは息子ジャクソンの自殺で自暴自棄になり、彼に連絡してくる。麻薬とセックスに溺れているホークを、同じく家族を失った妻と娘の為に立ち直るよう説き伏せる。その為に、自分には別の恋人がいるとあえて嘘をいう。だが、ホークの妻ルーシーも、夫が本当は自分でなくティムを一途に愛していることに傷ついていたのである。ホークの家庭は、結局虚像であり、見せかけの家庭であった。
 その何年か後、ティムが死を間近にして持ち物を整理し、二人の思い出の品を返してくる。決して来るなと言われていても、ホークはたまらずにティムに会いにいく。ティムはエイズの末期症状である(アメリカの牢獄は男同士のセックスが蔓延しているとのこと、ティムがどんな目に遭ったかが偲ばれる)。ティムはホークを家庭に帰らせようとして、彼以外の恋人がいると言ったが、実はホーク一筋であったことを、品を届けに来た知人から聞いた。世間から見捨てられたエイズ患者の支援の為に、ティムは最後の力を振り絞って知事との面会の斡旋をホークに依頼する。だが、実はエイズ患者の支援のパフォーマンスの覚悟である。当然、逮捕されるだろう。だから、ティムはホークに別れを告げる。「僕は君を全身全霊をもって愛した。すべての人がこんな愛を知る訳ではない。君との出会いを僕は感謝している」。
 1987年、エイズによる死者を記念するキルトが国会前に展示された。ティムのキルトの前で涙する老いたホーク。彼に寄り添う娘が、「お父さんの友達だったのね」というと、ホークは泣きながら「友達じゃなくて、愛した人だったんだ」と、はじめて心から彼への愛を告白する。彼に取っても、ティムは唯一の「愛する人」だったのである。
 以上、荒筋が長くなりすぎたが、このほかに他の同性愛者達や人種差別に苦しむ人達とか色々描かれ、民主主義国家アメリカの闇の深さを今さらながら感じた。勿論、同性愛者や人種差別に反対すべき事など、わかりきった感想は別として、情欲と愛情の関係を色々と考えさせられた。これはR15+の濃厚セックスシーン満載で、一人で観るのさえ目を伏せたくなるドラマである。特に一夜限りの相手との獣欲丸出しのセックスは、目を背けたくなる。恋人ティムとのセックスもそれなりに荒々しい。愛とはこんなにも情欲に結びついているものなのだろうか。ロマ書に「それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、 27同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています」(1:26&27)とある。しかも情欲は愛情と必ずしも結びつかず、アウグスティヌスも性交できなくなることを怖れて入信に踏み切れなかったことを告白している。愛とは切り離された情欲(性欲)が、特に能動的な男性には原罪のようにのしかかっているのである。
 ところが恩人の娘であり良識ある妻ルーシーに対しては、好意と尊敬の気持ちは強くともティムに対するような情欲を感じられない。ルーシーは「求められないと言う事が、どんなに寂しく孤独なのか、あなたには分からないでしょう」といって、30年以上に及ぶ夫婦生活から去って行く。そうだろうと思う。ティムのように切なる欲望と結びついた形で求められたかったに違いない。女にも「あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」(創世記2:16)と、男に支配されつつ求めずにいられない原罪が存在している。
 ティムは、熱心なカトリック信者として男性との性交を大罪と認識しつつ、愛されることよりも悩みながら愛し続ける事で、自分なりの満足を得て死んだ。それが、色々な問題を提起するこのドラマに、一筋の救いを感じさせる。過激なセックスシーンも、問題に取り組む真剣な態度から出たものであり、決して興味本位のものではない。ティムのような「全身全霊」の愛を体験しえない者であったとしても、罪を超越克服する真実の愛(それは、私にとっては信仰であるけれど)を求め続けたいと思った。