inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

竹枝郎と天狼君 〝さはん(人渣反派 自救系統)〟より

 以前取り上げた墨香銅臭作「人渣反派 自救系統」(略称さはん)の感想続きである。
 この作品の舞台は、仙人界を含む人界、人界に絶えず侵略してくる魔界の二つに分かれている。主人公「洛氷河」は、人間と魔物のハーフであり、彼に慕われる仙術師匠「沈 清秋」との勘違い同性愛カップルの恋の行方が主な筋書きである。だが、脇役やモブキャラの哀歓も丁寧に描かれていて面白い。
 取り上げるのは、主人公洛氷河の父親である「天狼君」とその配下「竹枝郎」である。魔界は全くの序列階級社会である。純血魔族は家柄と実力が全てだが、例外として、天上界の者が罪を得て魔界に落とされた「天魔族」がいる。純血魔族が諸侯としたら、天魔族は皇族であり、圧倒的魔力と高貴の血筋で魔界に君臨する。勿論、数は少ない。
 魔界南部は獣型魔物が多く生息する地方である。その中でも、混沌の大蛇を父、天魔族の女を母として生まれた、人頭蛇体の「竹枝郎」は怪物中の怪物であった。堅牢な鱗に蔽われ、かつその醜怪な姿と相まって、誰も近づこうとはせず孤独に生息していた。
 ところが15才になったある日、光り輝くような高貴な人物が数百の魔軍正規軍を引き連れて彼を訪れた。その人こそ、彼の母親の兄である「天狼君」であった。シリウスを意味する「天狼」の名のとおり、魔界に君臨し光り輝く存在である。彼は竹枝郎をじっくり眺め、「醜いのう」と感想を述べた。そして、彼の母親が逝去した事を告げ、その遺産として魔界南部を彼の領地とすると宣言した。引き連れてきた魔軍は、彼の配下とするためである。用件を告げ終わると、背を向けて一人で歩き去って行く。比較を絶した魔力を持ち、護衛を必要としないのである。だが竹枝郎は、生まれてはじめて嫌悪のこもらない目で彼を見、かつ語りかけてくれた人に出会った。彼はこの人の後を追った。天狼君は振り返って「何でついてくるのか?」といったが、彼が歩き出すとまたついて行く。こんなことを繰り返す中に、天狼君も彼の存在に慣れ、側にいるのを黙認するようになった。だが、天狼君を襲う賊と戦い傷だらけになったこの人頭蛇を見て、天狼君は「なんと醜い、これでは誰からも好かれんのう。私も、これ以上我慢できないよ」と言う。恥じと悲しみに逃げ去ろうとすると、天狼君に頭を押さえられた。次の瞬間、四肢に電流が走った。「四肢」?、なんと、憧れても持ち得なかった「指」が自分の「掌」に並んで居た。彼は十五六才の美少年に変身していたのである。「これでどうかな?」と天狼君は言う。竹枝郎は言葉も出ない。ただ、目から熱い液体があふれ出るのを感じた。
 人頭蛇には「名」がなかった。「名前がなければ、お前を呼ぶのに不便じゃないか」と天狼君は言う。彼を呼んでくれるのは天狼君だけであるが、天狼君は自分の便利のため、彼を「竹枝君」と名付けようとした。だが、「君」という称号を天狼君と共有するなど、あまりにも畏れ多い。称号のない「竹枝郎」と呼んでくれと彼は頼んだ。
 天狼君は内心、この甥は永年蛇だったせいか頭が悪いと考えていた。自分を「伯父様」と呼ばず「我が君」と呼び、魔界南部を領有する大君侯でありながら「君」の称号を嫌い、まるで侍童のように自分に仕える。だが、馬鹿は生来だから直しようがない。やりたいようにやらせる他ない、と考えていた。一方、竹枝郎の方も、我が君は不可能を知らない天才かつ大恩人であるが、頭はあまり鋭くないと思っていた。人界を彷徨っては馬鹿らしい恋愛小説や詩を買い込み、琴を弾じ歌曲に夢中になる、子供のような面がある。
 情愛に無関心な純血魔族と違い、天上人だった天魔族は情緒を解する。文芸や音楽を愛好する天狼君は、魔界を退屈と感じ、人界を好んだのである。そのように人界を彷徨うある日、天狼君は人界の美女と恋に落ちた。美女は天狼君と竹枝郎に、人界のあらゆる興趣を紹介した。音楽や劇、また珍しく美しい風景。中でも竹枝郎の記憶に残ったのは、洞穴にある湖に月光の光で生育する不思議な植物であった。これは人や魔物の魂を入れる「身体」となるのである。しかし蛇だった竹枝郎は動物的感覚で、この美女が怪しいと直観し、正体を探ってみた。なんと、魔界と敵対する仙人界四大宗派の一つ「幻花宮」の首席弟子であった。「幻花宮」宗長の命で魔界の君公「天狼君」を探っていたのである。さっそく、その事実を天狼君に報告するが相手にされない。事実を知ってもなお、彼女にのぼせ上がっていたからである。
 その結果、逢い引きの場所で仙人界四大宗派に襲撃され、竹枝郎を連れただけの天狼君は囚われて山に鎮圧されてしまう。天狼君の魔力が封じられると、竹枝郎も人身を失い、もとの人頭蛇となって天狼君が鎮圧された山を彷徨うのであった。天狼君の身体は山に潰されて少しずつ壊滅していく。思い出すのは、魂の器となる「身体」を実らすあの植物である。だが、手もなく足もない蛇は、どうしてもそれを採集できないのであった。
 そこに、「沈清秋」達が自分用にこの植物を採集に来た。怪物の姿で発見され、殺されそうになるが、何も悪いことはしていないからと「沈清秋」がそれを止め、あまつさえ天狼君の為に欲しくてたまらなかった霊芝(魂の器)を一株くれたのであった。
 この霊芝で、天狼君は再び世に戻ることができた。だが霊芝の身体は魔力と相性が悪く、魔力を使えば使うほど傷んでしまう。だが天狼君はこの身体で長く生き延びる気はなかった。何の悪事も働いてない自分を山に鎮圧した四大宗派に復讐し、人界を魔界に併合して死ぬつもりであった。愛した人に裏切られて、これ以上生きる意味はない。ただ、竹枝郎のことだけが心残りであった。醜い人頭蛇だった彼に情けをかけてくれた「沈清秋」に彼を託したい。だが、「沈清秋」は洛氷河の想い人である。天狼君は竹枝郎に、早い者勝ちだから「沈清秋」を寝取ってしまえと唆す。「そんな事は致しません!」と赤面した竹枝郎は抗議する。
 いよいよ竹枝郎が領有する南方魔軍が人界に押し寄せると、北方魔軍を率いる洛氷河は人界に組みしてこれを迎え撃った。北軍の勢いは強く、天狼君と竹枝郎を討ち取る勢いで迫って来た。戦いで出会った「沈清秋」から、天狼君は洛氷河の母は彼を裏切ったのではなく、師匠である「幻花宮」宗長が彼女を裏切って天狼君を襲った事を知る。彼女は洛氷河を産み落として落命した。天狼君は「やはり私は人間を憎むことはできない」と漏らす。瀕死の竹枝郎は、以前と少しも変わりない純粋な天狼君に戻ったことを喜ぶ。だが北軍が天狼君に襲いかかった。竹枝郎は最後の力を振り絞って大蛇に変身し、彼を巻き込んで保護し、そのまま落命する。竹枝郎が最後に聴いたのは「だが、人を愛するとは何と困難なことだろう」との天狼君の言葉であった。竹枝郎はもうしゃべる力はなかった。ただ心で「だって、人を愛さずにいる方がもっと困難じゃないですか」と答えて死んだのであった。
 この小説に登場する天魔の血筋は、天狼君、洛氷河、竹枝郎の三人だけである。共通するのは愛する相手に対する異常なまでの執着である。天狼君は彼を裏切った洛氷河の母を憎む事ができず「冷酷無情。だが、私にはそれが好ましかった」と語る。洛氷河は彼を無限深淵に突き落とした「沈清秋」をどこまでも慕って止まない。竹枝郎の天狼君への愛は、彼らと違って性愛ではないが、天狼君の為に千回死んでも悔いない献身である。
 一介の孤独な怪物が、憧れ慕って止まない人に出会い、愛を貫いて死んでいくのは悲劇的かも知れない。だが、なんと満ち足りた生涯だったことであろう。エロくグロい娯楽小説だが、竹枝郎と天狼君のエピソードは爽やかであった。