inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

「メメント・モーリー(汝、死を憶えよ)」、ポンペイ展を観て


 高校時代の英語の先生が、当時まだ珍しかった欧州旅行に行かれた。授業中に、フランス・ドイツ・イタリアと巡られたお土産話をして下さった。パリやウィーンの事はいくらか報道や映画で知っていた。だから、特に印象的だったのがポンペイで体験された事である。火山ガスが急速に降りてきたため、住民は急死した。遊郭で、男女折り重なった姿勢のまま石化した者もあるとのことで、婦人観光客は立ち入り禁止の場所があったと言う。そのような無残な遺体が、観光目的で人目に曝されるということ事態、ショックを受けたと語っておられた。
 それを伺って以来、ポンペイというと石化した遺体の暗いイメージが強く、なにか恐ろしい気がしていた。しかし一方、「ポンペイ最後の日」という小説や映画で、かなり親しんでおり、上野の博物館のポンペイ展に思い切って出かけてみた。恐れていたほど、災害の有様や遺体の状況などはあまり強調されておらず、華麗なモザイク壁画や彫刻など、突然中断された当時の文化的生活に重点を置いて紹介されていた。教科書で親しんでいたアレキサンダー大王がダリウス王を追撃しているモザイク壁画など、実物大で観ることができてよかった。
 いかにも一般的な感想であるが、何千年経とうが、人間は変わらないと言う事である。アブラハムが出てきたウルの地を発掘すると、「泣く子と地頭には勝てぬ」と同じ内容の諺まで書き残されていたそうである。同様に、パン屋の前で売り買いする人々や、子供達、裕福な人々は哲学や文学にも関心を持っていた様子など、今の私達と少しも変わらない人々の生活が紹介されていた。ポンペイが滅亡した西暦79年は、マルコ伝が成立した頃であり、福音書使徒行伝に登場する人物達の生活が偲ばれた。裁きの日が来るとき、人々は「娶り、嫁ぎ」などして、いつまでもこのような生活が続くように思っていたであろう。だが突然、最後の日が来た。遊郭で女を抱いたまま、食事の支度に掛かっていたまま、逃げる間もなく、人々は息絶えたのであった。聖書が予告している「終りの日」とは、このように訪れるものなのだろうか。
 展示品の一つに「メメント・モーリー」と称されるモザイク画があった。ドクロが振子のように中心に描かれ、その下には命の儚さを象徴する蝶(あるいは蜻蛉)と車輪、左には富者を現す豪華な衣服と書籍、右側は奴隷を象徴する農具と襤褸がある。死は、富んで幸福な者にも、奴隷のように悲惨な生を送る者にも、思いがけず突然に訪れるという意味である。私には、華麗なモザイクや彫刻などよりもこれが、ポンペイの出来事を最も印象的に象徴する展示品に思えた。