inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

映画「一粒の麦、荻野吟子の生涯」を見る

 先日、アルバイトで知り合った仲間に誘われ、山田火砂子監督、現代プロダクション制作の表記映画鑑賞会に参加した。わざわざ赤羽まで出かけなくとも,DVDか上映映画館がないか探したが、見つからなかった。娯楽的要素が少ない作品なので、商業ベースにのらず、新婦人の会などが主催となって各地で上映会が催されているようだ。

 主演の若村麻由美は、私の好みの美人女優であり、吟子の夫役の山本耕史も好きな役者であるから、雨の中、楽しみに出かけた。

 荻野吟子は、日本で最初に医師免許を受けた女医である。裕福な名主の家に生まれ、学問好きであったが、女の幸せは嫁いで母となることと親に説き伏され、熊谷の名主の家に嫁いだ。ところが、夫に淋病をうつされ、子供の産めない体になって離縁。

 女にとって、母になることは男女の愛の成就以上に、大きな喜びであり生きがいである。だが、子供が産めない吟子にもはやその道は閉ざされた。そうであるなら、女としてでなく、むしろ一箇の人間として生きねばならない。その道を開くものとして、彼女は学問を選んだ。そして、医者は男性しかいなかった時代に、性病治療のため男性医師達の前に恥部を曝す苦痛の体験から、女の医者になることを志す。先ず、男性学生に交じって先進の学問を学び、福沢諭吉の「学問のすすめ」に励まされる体験をする。国学者で皇漢医の井上頼圀の塾で学び、彼の後妻に望まれたが、これを断る。もし受けていたなら、彼女の才能と知性を認める彼と結ばれ、子供が産めないにしても幸福な生活があったのではないか。だが、女である以上に一人の人間として生きる彼女の意志は揺るがなかった。一時教師となったが、東京女子師範に進学、主席で卒業する。東京女子師範教授の紹介で、私塾で医学を学び、男性学生から様々のいじめを受けるが、優秀な成績で卒業する。しかし、それからが苦労の頂点であった。医術開業試験受験を、女であるという理由からどうしても認められないのである。「前例がない」といういかにも官僚的理由を打破するため、井上頼圀らの協力を得て日本史における女医の存在を探し出し、様々の人々から援助を受けて、遂に女性に受験を認めさせることに成功。そして日本初の女医として華々しく開業したのである。

 一人の人間として生きようとする過程で、様々な女性蔑視に苦しんできた彼女は、神の前に人間は平等であるというキリスト教の教えに強く惹かれた。海老名弾正により受洗、キリスト教となる。そして訪ねてきた13歳も年下の同志社の学生、志方之善に心惹かれる。彼は、敬虔なキリスト者であり、知的障害児自立支援の為上京した。だが、キリスト教伝道を志し、同志社で神学を学び牧師となる。彼は、吟子を置いて単身北海道に渡り、そこで開拓し伝道をしようとする。吟子は、自分の稼ぎでそれを支えたが、後に医業を棄てて北海道にわたり、牧師としての彼と生活を共にする。

 しかし、彼は様々の事業に失敗、41歳の若さで病没する。この時期の苦難と挫折の体験は、しかし吟子にとって深い恵みの体験となった。彼女は、両親を失った夫の姉の子を養女として、東京に帰り、再び医院を開業する。そして、62歳で没した。

 晩年の情景として、12・3歳の養女に「人生に大切なことはみな、聖書に書いてあります。聖書をしっかり読んで下さいね。あなたの一番好きな聖書の言葉は何ですか。」と聞く場面がある。養女は「艱難は練達を生み出し、練達は忍耐を生み出し、忍耐は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることがない。」というロマ書の言葉が好きですという。「どんな困難にも夢を失うことなく頑張れば、夢を実現できると励まされるからです。」と理由も述べた。これこそ、吟子の生涯の総括とも言えるのではないか。

 だが、吟子は「そうですね」とうなずきつつ、「お母様が一番好きな言葉はね、」と『一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一粒であらん。だがもし、地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶようになる』とのヨハネ伝の言葉を選ぶ。彼女は開拓者として艱難辛苦のすえ、遂に日本初の女医となった。だがその自己実現の成功以上に、虐げられた女達の為に廃娼運動に取り組み、障害者自立支援運動を親身に支えたこと、そして何よりも夫と共に「神の前に平等な」キリスト教社会を築こうとしたこと、つまり「地に落ちて死ぬ」献身を為し得たことを、最大の喜びとしたのである。大変感動した。

 映画が終わると、監督挨拶がある。なんとよぼよぼの杖をついた老婆。八十八になるという。次女が知的障害者であったことから、映画監督を志したという。いまなお現役で、次の作品に取り組んでいるという。僅か72歳で、「もう何をするにも年だから」など感じていた私には、大変な刺激であった。

 演劇や映画がコロナ禍で苦境にある現在、このような地味な作品はなお苦しいであろう。出演した役者達も多くはボランティアであり、自腹を切っての出演であると言う。少しばかりのカンパを献げて、会場を出た。

 仲間と喫茶店で感想を話し合った。「だけど、いいとこのお嬢様で、親や周囲が理解してくれたから、学問したり医者になれたりしたんだと思う。私なんか、女は高校出れば十分と、大学にも行かせて貰えなかった」とか、「障害者が身内にいるとどんなに苦労でしょう」などガヤガヤ話し合う。今でも、最近の医大受験の女性差別に見られるように、日本の社会はまだまだ女性や障害者差別が色濃い。それを変える為には、まず私達自身が変わらねばならない。老人だから何も出来ないではなく、山田監督に倣って、老いて様々の役割から解放されたからこそ自由に、次の世代の為に社会を革新する方向に行動し思索しなくては…。とにかく、なんとかみんな頑張ろうねと言って、別れた。

 私はテレビはあまり見ない。だから、「花埋み」という荻野吟子の生涯を題材にしたドラマも見ていない。この原作となった渡辺淳一の小説を読んでみたくなった。