inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

プラトン「パイドン」読中感①ープロローグから自殺禁止論まで

  久々に古典中の古典「パイドロス」を読み返し、生涯にわたって娯楽読書ばかりしてきた私には新鮮だった。父から「古典を読みなさい」と繰り返し言われ、反発したものだが、下手なSFや大衆小説を読むより余程面白かった。次はどうなるかと物語の展開に胸を躍らせるもあるが、恋愛や弁論術についてどんな論理が展開されるのかも、じっくり考えたり反発したりできて面白い。
 ところで 「パイドロス」の中でソクラテスは「ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケー(対話術)の技術を用いながら、その魂の中に<言葉>を知識とともにまいて植えつける。その<言葉>というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった<言葉>であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新たなる<言葉>が新たなる心の中に生まれ、かくてつねにそのいのちを不滅のままにたもつことができる」と、言っている。<言葉>とあるのを、「真実な事柄についての知識の言葉」と置き換えると、対話術によって「真実な事柄についての知識」が対話する相手に伝わり、また相手にも芽吹いて新しい種として次の人にも伝わっていく、という意味になろう。真・善・美についての考え(観念)が、それぞれ各人の中に生じ、伝わっていくイメージは美しい。
 そこで、「饗宴」と同時期に書かれた「パイドン」(ソクラテスの死の報告、霊魂の不滅について)を、その場にいるように、一つずつの問答に反応しながらゆっくり読んでみたいと思った。読了してからの読後感ではなく、読中感である。私はクリスチャンだから、死生観がギリシャ哲学のような霊魂不滅説とは違う。どのような点に違和感を感じ、どの点に共感できるか考えながら読みたい。
 物語は、ソクラテスの死後数ヶ月後、弟子のパイドンが故郷のエリスに帰る途中、ピュタゴラス哲学者たちがいる小都市プレイウスに立ち寄り、彼らにソクラテスの死の有様を語りきかせるという枠組みで始まる。刑死の日の早朝、別れを告げに牢獄に集まった弟子達と、ソクラテスは死の直前の日暮れまで魂の不死について哲学的対話を交わした。その内容が報告される。
 アテネではソクラテスの死は評判となっていたから、こうしたアテネから遠く離れた田舎町の人々でなければパイドンから報告を受けようとする状況はあり得ない。また、パイドンが故郷エリスへの道筋から外れたこの田舎町にわざわざ立ち寄ったのも、この地の哲学者たちにソクラテスの死の有様と最後に語られた言葉を伝えたいという意図があるからだということが伺える。
 なお、パイドンという人物は戦争捕虜として奴隷となり、その美貌が災いして男娼としてアテネの娼館(少年愛専用)に売られた。その地でソクラテスの弟子となったが、ソクラテスは彼の境遇を憐れみ、クリトンやアルキビアデス等裕福な人の協力を得て彼を身請けし、解放してあげたのであった。だから彼は、ソクラテス智慧を授ける師としてだけでなく、恩人としても深く慕っていたであろう。プラトンは当日病気で立ち会えず、友人だったパイドンから、ソクラテスの死の様子について報告を受けたと考えられる。この対話篇の報告者としてプラトンが採用するにふさわしい人物である。なお、故郷エリスでエリス学派を創設したが、著作は残っていない。セネカが「徳を得る唯一の方法は良き人々の社会に入り浸ることである」というパイドンの格言を残しているそうである。<良き人々の社会>という言葉に、ソクラテスを囲む弟子達が想起されるではないか。
  少しずつ読みながら続きをゆっくり書いていきたい。

一、序曲
 便宜上、訳者(岩田靖夫先生)がつけてくれた段落分けに従って、まず序曲部分からはいる。プレイウスの哲学者たちを代表してエケクラテスがパイドンに、ソクラテスの最後の日の模様と語られた事柄を話してくれるように頼む。パイドンは「ソクラテスを想い出すことは、じっさい、自分で語るにしても、他人の話をきくにしても、私にとって最高の喜び」と語り、これに応じる。ソクラテスの弟子達が、彼を追慕し自らの慰めと励ましとしたことが伺える。実際、彼らは書物を残さなかった師に代わってプラトン始め多くの「ソクラテス文学」を生み出し、師の哲学を広めようとしたのである。
 まず、死刑判決が下された時点から執行されるまで長期間あったのは何故か問われて、デロス島のアポロ神殿への使節アテネを出発し帰還するまで、死刑執行を行わない決まりがあり、その為に執行が延期された事情を語る。
 パイドンソクラテスの死に立ち会い、その態度においても言葉においても幸福そうな師の態度から、悲しみではなく「喜びと苦しみの入り混じった」不思議な感情を味わったと語る。ソクラテスの「恐れなき高貴なご最後」は弟子達を感動させたのである。
 立ち会った人達を尋ねられ、アテネ人15・6名、ほか他の都市(ポリス)から6名ほど、合計20数名の名が上げられる。それぞれ実在の人物である。

二、死に対するソクラテスの態度
(1)ソクラテスの夢-ムーシケー(文芸)をせよ
 前日、デロス島への使節が帰還した知らせがあり、いよいよ翌日は死刑執行されることを知った弟子達が、師との最後の別れのため当日の朝早くから獄舎前に集まり扉が開くのを待った。扉が開き、ソクラテスの獄舎に入るとクサンチッペと幼い子供二人、やや長じた息子一人が彼の傍らにいた(ソクラテスには妻が二人いたというから、長じた息子は先妻の子?)。弟子達が入ってくると、クサンチッペが夫と彼らが話し合うのもこれが最後と泣き出したので、ソクラテスは幼友達クリトンに合図して家族を連れ出して貰った。
 足枷を外され、脚をさすっているソクラテスにケベス(テーバイ出身のピタゴラス派哲学者、同郷の友人シミアスと共にこの対話篇の相手方となる)が、投獄以来、詩を作っておられる訳を尋ねる。ソクラテス(以下Sとする)は、生涯にわたり「ムーシケー(文芸)をせよ」と命じる夢を見てきたが、今までは哲学することが最高の文芸であると解釈してきた。しかし、この世を旅立つにあたり通俗的な意味の文芸として作詩しておくのも、安全であると考え、イソップ寓話やアポロ賛歌を作った、と答える。Sがある意味、(名をしらない)神に敬虔な宗教的人物であることが伺える。
 そして売文家であるエウエノスにも、自分の後を追って早く世を去るよう伝えてくれと告げる。エウエノスに対する皮肉であるようだ。
(2)自殺禁止論-人間は神々の所有物である
 シミアスが驚いてエウエノスが早く死にたがるとは思えないと言うと、Sは哲学者なら死を望む筈だ、と応え、だが彼は自殺はしないだろう、それは許されないことだから、と付け加え、さすっていた脚を降ろす。ケベスが、自殺は許されないのに、哲学者は喜んで死に行く者の後を追う、とはどう言う意味かと尋ねた。Sは、それでは日没に死ぬ迄、この問題について語り合おうと言う。
 自殺が許されない理由について、Sは、生きる事より死ぬことが人間にとって無条件により善い、しかし、自分にとってより善いこと(自殺)をするのは不敬虔な行為である、と言う。ケベスは驚いて「ゼウスよ、ご覧くだせい!」とお国訛りで言う。「オー、ジーザス」のような言葉だったのだろう。
 そこでSは②について、「神々は人間を配慮する者であり、人間は神々の所有物(奴隷)である」事に同意するかと問い、ケベスは承諾する。この点は神が人間の創造者であり、人間は神の所有物であるというキリスト者の考えと似ている。但し支配される奴隷というよりも、神に属し、神に相対するという意味であるが。
 Sは、それならば神々がそれを意志するまで、人間は自分を勝手に殺してはならない筈だ、と結論する。キリスト者も、ほぼ同じ考えであろう。
 ケベスは①について、神々は人間を配慮するなら、その配慮から逃げだそうとするのは思慮のある者にとって不条理ではないか、と問う。パイドンは、Sがこれを聞いて喜んだ様子だったと述べる。この対話が無駄話ではなく、師と弟子の、死についての真剣な討論となることをSは喜んだと言いたいのだろう。
 シミアスも、Sがこんなにも平然と善き支配者である神々のもとを立ち去ろうとする理由について、弁明すべきだと言う。
 Sは、次の事を信じているからだと言う。第一は、死後、この世を支配する神々とは別の賢くて非常に善い神々のもとにいくだろうという事。第二は、この世にいる人々より優れた死者達と共にいる事になるだろうからと言うこと。第二の点は、おそらくであるが、第一の点については確信している、と述べる。古くから伝えられているように、死後、善い人々は報いがあるという希望を抱いているからである。(これは、全世界共通の因果応報の理であろう)。シミアスは、自分達にもその信仰を分け与えてから、世を去ってくれるよう願う。
 理由第一については、キリスト者も絡みつく罪との戦いを終え、この世の支配者(サタン)から逃れて主の御許に安らぐ事は望ましい。パウロも「この死の体から、我を救わん者は誰そ」ロマ6:17と嘆き、キリスト・イエスによって神に感謝している。理由第二についても、死後直ちに主に会い、それと共に世を去った愛する死者達と再会する希望をいだいている点は、同じである。ただ、それを得させるのは、生前の訓練や努力ではなく、イエス・キリストの十字架と復活という救いの出来事への信仰である点に違いがある。