inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

オンライン礼拝

  コロナ禍で二ヶ月ほど、家庭礼拝が行えなかった。緊急事態宣言中でも、仕事を休むわけにいかず出勤を続けていたので、万一自分が罹患してそれに気づかない無症状コロナ患者であったらと思うと、娘や孫と集まり礼拝するのが怖かった。そこで、説教レジメのみ郵送し、各自で黙想して礼拝に代えることにした。

 ところが、緊急事態解除となりやっと集まって礼拝することなった処、郵送していたレジメは全然読まれていないことが判明。確かに、一人で説教レジメを読むだけでは、礼拝した気分にはなれない。それに、主が臨在して下さると約束されたのは、「二人または三人が、私の名の下に集まるとき」と聖書に書いてある。孤独の祈りや黙想にも、主は偕にいて下さるだろうけれど、せっかく20年以上続けてきた集いである。病気や事故の危険は、生きている限りつきまとうのだから、外出自粛の事態となっても、なんとか対面する集いとしての礼拝が出来ないものかと考えた。

 そこで思いついたのがオンライン飲み会ならぬ、オンライン礼拝である。教会の礼拝のように大勢ではない家庭礼拝であるから、オンライン飲み会のやり方が一番参考になった。双方向で対話が出来るし、画面で相手の反応も見える。とりあえずPCにすでに組み込まれていたスカイプというソフトを使って、試しに実行してみた。

 音声は多少エコーがあったが気になるほどでもなく、説教レジメを画面に表示して話すことも可能であった。賛美歌も一緒に歌えるし、祈りを共にすることも出来る。自宅に集まると同様、孫が出たり入ったりするのもそれなりに楽しい。10人以内のオンライン飲み会が可能であるなら、小規模の礼拝も同様に可能ではないか。語る者としては、相手(聴く側)の反応を見つつ話したいと思うし、聴く側も感想や質問を述べたい場合もあるだろう。オンラインでそれが可能であれば、文書送付するだけよりよっぽどましではないか。欲がでて、ズームというソフトも試したくなってしまった。

 原則、集まっての礼拝を厳守したいし、そうすべきだと思う。だが、外出自粛や台風などで集えない場合には、以後オンライン礼拝も一つの方法だと思った。

死後の生活、復活まで

 最近、いよいよ私も老年に入り、死後の人間のありようについて思いをいたすようになった。かかりつけのお医者様に、まだ後20年以上生きるんだからその気で頑張れなど言われると、ヨタヨタヘロヘロで老残を生きるのかとうんざりする。ま、成り行きに任せるしかない。ただし、生涯教えられてきたとおり、信仰をもって生も死も受け入れられるよう、覚悟してしっかり聖書を学ぼうという気にはなる。

 人は死んだら直ぐ、天国(または地獄)に行くのだろうか。子供の頃はそう信じていた。しかし、聖書の教えるところでは、キリストが再臨され、死者は蘇り、万物が更新される「終りの日」があり、その時、キリストが復活の体で生きておられるように、信徒たちもパウロがあんなにも希望した「身体の贖い」を受けて、復活の身体に甦るとされている。だから、その時までは、「身体」なしの霊魂として死者は存在することになる。しかし、それはパウロの言う「身体を離れて、キリストと共にある」存在であり、信仰によってではなく直接主を見る歓喜に溢れた生であろう。イエスと共に十字架につけられた罪人の一人に「あなたは、今日、私と共にパラダイスにいるであろう」とイエスは告げられた。と言うことは、死後直ちにパラダイスにある存在に移されると言うことである。だから、死んだら最終的な天国即ち神の国の存在に移されるのではなく、平安と喜びに充ちたパラダイス的状態に移されるのである。そうでなくては、この地上の悲惨をほったらかしにして、別の所に天国があるようではないか。聖書は、万物が神の子達の自由に与るという最終的な神の国の希望を語っている。だから、中間状態として死後直ちにパラダイスに移されると考えるのが正しいようだ。

 ルッターは、死後終りの日まで意識のない状態であろうと云っているが、それはちょっと違うと思う。天に召された方々も、地上にあった時のような活動状態ではないが、少なくとも祈りにおいて地にある者達と交流があるように思える。愛する者の墓前において、自ずから語りかけないだろうか。また、なにかの折りに彼らからの励ましを感じないだろうか。だから、面識あり地上で交流のあった者達と、何らかのかたちで地上にある者と天にある者の交流が残っているように思う。これは特に信仰篤いからではなく、普通の人間の感覚ではないか。

 では、その中間状態において祈りのほか、主に何をしているのだろうか。これは、私の想像だが、認識の学習をするのではないか。おぼろに感じていたことを、直接対面するように知る。どうして自分はこんなに頭が悪くあるいは障害をもった存在として生きねばならなかったのか、など喜びと感謝をもって納得し、それによって神を讃美することができるのではないか。勿論、地上にあって信仰によってそうした認識に達する人々も存在するだろうが、私のような小信仰の者は死後パラダイスにあって改めて信仰と認識を深めさせて頂けることを期待したい。

 これまで死後直ちに地獄にのコースは考えてこなかった。なぜなら、主は「罪人が一人も滅びずして、永遠の命を得る」ために世に到来して下さったのだから、肉体において生きるにしても、死後何処に行くにしても、主を信じようと思うからである。親鸞はたとえ地獄に落ちようとも法然上人を信じると云った。それなら、主の復活を信じるキリスト者はなおさらそうであって、生においても死においても、イエス・キリストに自分を委ねようとおもうからである。結局、ヨタヘロで生きるにしてもキリスト者としてあり続けよう、これが今のところの私の結論である。

藤井武著「羔羊の婚姻」

藤井武著「羔羊の婚姻」
 藤井武は、内村鑑三の弟子で無教会派の独立伝道者であった。彼は石川県金沢市の出身だが、父の東京赴任に伴い上京。一高・帝大出のエリートである。卒業後、4年間内務省官僚として勤務したが、キリスト教伝道の志やみがた辞職して、内村の助手となった。学生時代に、親の取り決めた金沢市の名家の娘と婚約、卒業と同時に結婚した。恋愛結婚ではなかったが、彼は一目で彼女を愛した。彼女も彼の導きでキリスト教信仰に入り、世にも麗しい家庭を築いた。伝道の道に進むこと、独立伝道の開始、ほかすべて彼女の賛成と協力があった。その彼女が5人の子供達を残し、30歳になるやならずで逝去した事は、藤井を打ちのめした。祈る力も生きる力も失せたかと思える時、彼女の葬儀で恩師内村が語った「以後、彼女は天にあってベアトリーチェがダンテを導いたごとく、彼を導くでありましょう…」が胸に蘇った。
 天にある彼女と地にある自分が一体となった二人の合唱として、神を讃美する歌として書き始められたのが「羔羊の婚姻」という長詩である。彼はミルトンの「失楽園」を翻訳しており、構想のヒントとした。パウロの「清き乙女として、ただ一人の男子キリストに娶さんが為に…」や黙示録の「羔羊の花嫁たる教会」から、創造の目的を神の独り子がその花嫁なるエクレシアと偕に神を讃美することと捉え、創造の初めから完成に至る壮大な叙事詩である。三部に分かれ、上篇「羔」は創造から旧約時代を経てバプテスマのヨハネを先駆けに独り子が受肉と、十字架と復活までのイエス伝。中編「新婦」は花嫁たる教会(エクレシア)の成長と放浪、つまり信徒たちの歴史を語る。使徒達から教父、教会の堕落や、アウグスティヌスの神の都の思想、アシジのフランシスやダンテ、宗教改革からミルトンやカントほか、世界史での出来事。そして最後に日本に到来したこと、およびその堕落。そして新郎キリストの来臨を待つ万物の呻きなどを取り上げている。下編「饗宴」は、黙示録を歌い、最後の時至らんとする大いなる幻を題材としている。それぞれ第一歌に、天にある夫人への著者の思慕が歌われていて、感動的というより胸に迫るものがある。
 私は、剥き出しの感情に弱い。だから、あまり激しい感情にあうと慌てて気を逸らして、ほかの事を考えようとしてしまう。従って、ミルトンの「失楽園」(わざわざミルトンと断りを入れるのは、殆どの人が渡辺淳一の「失楽園」と取り違えるからである。)を読む際に、藤井先生のミルトン研究を参考にしたが、この代表作は敬遠してしまった。大地と踏みしめ、大気と呼吸した妻を、人生の途上で失った夫の嘆きは、夫を失った妻の嘆きとは比べものにならないようだ。そのような経験は多くの人がしているが、藤井先生の嘆きはまた度外れであった。だが、彼はそれを昇華させ、絢爛たる文章で雄大なる信仰の詩を生み出したのである。
 市川喜一先生のヨハネ伝講解を読んでいて、イエスを「世の罪を負う神の羔羊」と洗礼者が呼ぶ箇所の講解で、この作品を取り上げておられる。そこで、気を取り直して、主にミルトンの「失楽園」と較べつつ読み返している。
 感想文など、軽々に書ける作品ではない。だが、ミルトンの作品がサタンの活躍に多くを語るに対し、彼は「愛」について多くを語る。上篇第二歌、父なる神が独り子に対し「49愛は堪えない、絶対の孤独に、ひたすらなる自己充足に、我をささぐべき者の不在に。50完き永遠の愛はひとしく、まったき「我ならぬ我」をもとめる、よびかわすべき永遠の「汝」を。…73ああ汝のゆえに愛は飽き足り、また汝のゆえに愛は渇く、何をもてか汝を祝福しようと。」と語ると、子は讃美を偕にする伴侶を願う。父は「106いとうるわしき佳耦(とも)を…、汝の新婦として、体として」と人間の創造を決意されると、子は「124ああ汝の合せ給うべき佳耦、みてのわざなる聖き花嫁、わたしの愛のゆきめぐる体!」とまだ創造以前から人間に対する愛を語る。藤井先生が如何に純潔な愛の理想を抱いていたか垣間見る思いがする。
 ミルトンの「失楽園」では、失意のアダムを楽園から追い出す前に、天使ミカエルがアダムを励まして旧約からキリスト到来までの幻を見せる場面がある。だが、旧約の歴史を非常に省略しており、申し訳ないが少々退屈である。ところが、「羔羊の婚姻」はこの場面を、アブラハムのイサク奉献、燃える柴、などそれぞれのエピソードで綴っていて、それぞれが情感豊かな聖書の講解であり、胸を躍らせて読んだ。洪水で滅ぼされる人類が、我が子を諸手で水の上に差し上げようとする描写など、いままで滅ぼされる人々を哀れと描いたものを呼んだ事がないので、心に残る。
 また中篇は、アタナシウスやアウグスティヌス、ローマ教会の堕落と宗教改革、日本への信仰の渡来など、キリスト教史のエピソードが歌われ、ことに日本の現状について預言者の如く叫ぶ。ことに第33歌「118みよ、東風にむらがり翔る、蝗の如く、空を蔽うて、機の集団はたちまち顕れ、121鳴とどろくや雷のごとく、火を吐きさくや雷のごとく、復興の府を灰にしてゆく。…127審判は必ずきたるであろう、併し神の憐憫のゆえに、日本は滅びをはらぬであろう。」など、B29襲来や敗戦を預言するごときである。最後に、①天地万物の呻き、②花嫁の呻き、③聖霊の切なる呻きのマラナ・タをもって花婿キリストの到来を待ち望む歌で終わる。
 下篇「饗宴」は、黙示録の幻を用いて、いよいよ花婿の到来すべき再臨の預言を歌って居る。そして、いよいよ自分が天の花嫁と一つになるべき時を予感する。そしてこの詩の完結を待たずに、著者は天に召された。
 このような雄渾な信仰の詩が、日本に存在することに感動を覚える。ミルトンは清教徒革命の失敗の失意の中で「失楽園」を著し、「摂理」をしるべに歩む人間の運命を描いた。藤井先生は、伝道の労苦と困難、そして愛する者を失った人生の厳粛の中から、神の人間への審判と愛を身をもって体験し、伝えてる。

 現在、日本も世界も、多くの大災害や疫病に立て続けに襲われ、神の笞を味わっている。審判のラッパが、鳴り響いているのではないか。信仰を心の中の個人的なことと捉える御利益宗教とせず、正義と愛が満ちあふれる神の国を心底乞い求めつつ、「信仰を抱いて」死ぬ希望に生きねばと思う。

市川喜一先生著「対話編・永遠の命ーヨハネ福音書講解」Ⅰ&Ⅱ

 もう20年以上、家庭礼拝を続けている。神学的訓練を受けた夫が長年説教を担当してくれた。その間は、本人は準備が大変であったろうけれど、聴く立場の私や娘は気楽であった。ところが夫が天に召され、信徒にすぎない私と娘だけで礼拝を継続するとなると、大変である。まず、取り上げるテキストの講解を読み、自分なりに汲み取ったところを語らねばならない。だから、自分に合った良い講解書を探すのが最も肝心なのである。最近、マタイ伝を3年半かけて読み終え、次は思い切ってヨハネ伝にチャレンジしてみようと思いついた。

 ヨハネ伝は礼拝でも取り上げられるけれど、自分一人で聖書をよむ時にも好んで読む福音書である。ドストエフスキーの「罪と罰」で、ラスコーリニコフが娼婦ソーニャにラザロの復活箇所を読んで貰う場面など、心に残る。だれでも、ヨハネ伝の様々な箇所が自分なりに心に残り、好んで読んでいるのではないか。

 ところが、まとまった講解書を探すとなると大変であった。クリスチャンホームで育ち、ミッションスクールに通った私のような者には、簡単に「ありがたがらせる」ような初心者向け講解では、生意気だが飽き足らないのである。かといって、新約学的な研究をしたいわけでもない。原典に忠実で、語られていることを正確に伝え、かつ霊的で信仰を更新させるような講解書、しかも日本語で、となると探すのに苦労する。結局、キリスト教書販売ルートから購入したり、ある方のご好意で頂戴したりして何冊か入手した。だが、その中でも自分に向いたものを選択せねばならない。あまりに学問的な神学論文のようなものは、私には向かないのである。

 それに著者問題というものがある。ヨハネ伝の著者は、使徒ヨハネと長年誤解されてきたが、最後の晩餐の席でイエスの胸に寄りかかった愛弟子ヨハネであると教えられてきた。ところが、読み始めたNTDの註解では「ヘレニズム的教養をもつ異邦人キリスト者」と想定しており、ちょっとショックを受けてしまった。それなりに考証されているけれど、なんだか納得できずに、ネットで色々と検索してみた。

 そこで出会ったのが、「ヨハネ文書の成立」という文章である。丁寧に原典や資料に当たり、その上で分かりやすくヨハネ文書や成立事情を解き明かしている。これは、と思い検索を続けると、「天旅」というホームページに行き着いた。市川喜一先生という方が主宰で、独立伝道者として聖書研究や集会をして居られるようだ。この方の著作集中の「ヨハネ福音書講解」上下を、早速送付して戴いた。これを基本にして少しずつ勉強したいと思っている。

 まだ読み始めたばかりであるが、市川先生の註解はギリシャ語原典から独自に翻訳され、新約学研究の最新の成果も取り入れておられるのに、信徒にはつらい原語や難解な外国語などの説明は簡略にして、テキストの内容の瞑想を通し、これはとおもう箇所を解き明かしつつ要点を分かりやすく説いておられる。神学論文ではなく説教のように、信仰の養いに重点を置いておられるようだ。少し突っ込んで聖書を勉強したい私のような者には最適な註解書と思える。このような良書が、大手販売ルートどころかキリスト教書販売ルートにも乗らないというのは、なんと残念なことだろう。ネット検索でたまたま出会えなければ、存在を知ることすらできなかったのである。だが、聖書を勉強したいと思う人は少ないから、商業的販売ルートにのらないのは仕方ないかもしれない。しかし、御言葉の種は自ずから成長するという。広告宣伝を口コミに委ね、著作権も主張されず、インターネット上で閲覧自由にしてくださるのは、市川先生の伝道者らしいお考え方からであろう。

 私にふさわしい良い註解書を求め、結果、こうして豊かに与えられた恵みに感謝している。願わくばそれに応え、少しでも信仰の学びを前進させたい。また私同様、よい講解書をもとめて居られる方に、この本をおすすめしたいと思っている。

孤独のサイクリング

 若いころから、散歩が大好きであった。家族の多い環境であったから、ガヤガヤした家やテレビを離れ、一人きりで歩きながら特に何かを考えるでなくともなんとなく自分を取り戻し、気分転換できるのである。

 ところが坂の多い町から、平らな下町に移ってからは自転車を購入してサイクリングするようになった。歩くよりスピード感があり、走るだけで気分がいい。また歩くとは比較にならない遠距離、いつもなら電車で行く距離が可能だ。また、女が人気のない道を一人歩きするは気持ちが悪が、自転車はスピードを出して走り去るのだから、安心感がある。結果、かなりはまって東京中を走り回った。たまに家族も付き合う場合もあったが、基本一人である。サイクリングとは結局孤独とスピードを楽しむもののようだ。

 だが、年齢と共に連れ合いが病気がちになり、入院先への往復や日常生活の必要に応じて自転車を使うのが主になり、走りを楽しむサイクリングとは縁遠くなった。夫を家に置いて、何時間もサイクリングなどする気にはなれない。仕事や家事に追われ、時間的余裕もなかった。退職し、夫も天に召されて一人になったが、スポーツを思う気は失せていた。

 ところがこの感染症騒ぎである。高齢者というリスクがあり、電車で通勤することは仕方ないが、可能な限り人と接触しないようにせねばならない。人と接することの少ない仕事から一人暮らしの家に帰り、閉じこもっていると気分が落ち込んでくる。そこでふと思いついて、サイクリングを土日に再開してみた。マスクに花粉めがね、まるで強盗のような身支度で、久々に街を走った。乗っているのは、ギヤチェンジもできないママチャリ、スピードも当時の半分以下でゆっくりと走る。

 夫の入院先に通った道、スピードを楽しんだ川沿いのサイクリングロード、立ち寄った休憩所など、記憶が次々と甦ってくる。懐かしくなんかない。若く体力があったその頃は、それはそれで悩みがあり、つらかった。それを思い出すと、当時支えてくれた人々に心からありがたく感謝の思いがこみ上げてくる。またサイクリングでよくすれ違った人達はどうしておられるかなども思う。

 外出自粛で人が少ない街角にも、私と同じ思いであろう、自転車でゆっくり走る年配者の姿があった。今年は色薄くみえる桜も、もう花吹雪となっており、代わりに色様々な若葉が萌えだしている。花は咲き花は散り、人の世も続いて行く。私達世代が世を去っても、次の世代がまた同じように一生懸命生きて行くであろう。私も与えられた時間と生命を、精一杯生きねばと思いつつ帰路に就いた。店にも寄らず、人とも会話せず、孤独のサイクリングながらよい気分転換であった。

ある音楽学者の死を聞いて

 バッハ生誕300年記念の年だったと思うが、音楽雑誌にバッハ特集がありマタイ受難曲が取り上げられていた。そこに「磯山雅」という人が解説を載せておられた。それまでの音楽そのもの自体の解説とは違って、思想的信仰的な面から楽曲の解説をしておられ、非常に新鮮で今までなかった音楽とのアプローチを感じた。早速、その一文に感銘を受けたことと、この方の著書が在ればご紹介いただきたいと出版社に手紙を出した。するとなんと、思いもよらずその磯山氏ご本人から手紙が届き、近々「バッハ、魂のエヴァンゲリスト」という本を出版する予定なので、よろしかったらご購入いただきたい旨お知らせ下さった。

 ただのバッハファンに過ぎない者に丁寧にお手紙を下さったのに、お礼状もださないままにだったが、以後ご著書が出る度に楽しみに購入していた。だが私自身、子育てや仕事といった生活に追われ演奏会はもとより、レコードやCDを自宅で聴く時間すらなく今まで過ごしてしいた。たまたま、教文館お知らせメールで磯山先生の「ヨハネ受難曲」が新刊として紹介され、飛びついて購入したが、なんと磯山先生は2018年事故死され、これが遺作だということを知った。

 何という悔しく残念なことであろうか。バッハの音楽の背景にはヨーロッパにおけるキリスト教の敬虔の歴史があり、特に宗教改革のルッター派神学の影響が色濃く反映されている。その背景の理解なくてはバッハが音楽で伝えようとしたことが充分に理解できない。それを、先生はしっかりと取り組まれたのであった。楽曲の譜面上のことなど、専門家ではないただの音楽ファンにはついて行けないむずかい面があるが、日本のキリスト者として、頭の上だけでなく、全感覚において信仰するという課題に直面する者にとって、バッハを聴くというのは決して耳の楽しみだけではない。音楽の国ドイツではなく日本に於いて、私達が自分の感性でバッハを聴くことにつき磯山先生の解説は素晴らしいものがあった。

 したかったことをまだ残したまま、私の夫も旅立ってしまった。人間の生きる時間はなんと少なく、はかないものであろうか。そう思うほどに、主にあって希望を抱くことがいよいよ切実に感じられる。決して此の世の生を軽んじるのではないが、天に望みを抱いて生きかつ死ぬ者であらねばならないと、切に思った。 

寝そべって、会食!

 

 最近、書店でNHKラジオ番組宗教の時間のテキスト「新約聖書のイエス」という本を見つけ、読んでみた。教会の説教とは違う角度から取り上げられていて、興味深く読んだ。だが、ある程度はすでに私が知っている部分もあった。

 しかし、一番ショックだったのは、最後の晩餐始め当時のイスラエルでの会食とは、ギリシャ同様寝そべって食べる形式だということだった。プラトンの「饗宴」などでは当時は台に寝そべって食べたり飲んだり、会話を交わしたりしたということはなんとなく知っていた。また、それを知らないでは「饗宴」を読めないだろう。

 処が、イエスの時代のイスラエルでの会食も、その同じ寝そべって食べる形式だということを、この本で殆ど始めて知ったのである!クリスチャンホームで育ち、子供の頃から聖書に親しんでいたのに、今まで気がつかなかったとは、なんたることであろうか。何で誰も教えてくれなかったのだろう。思えば、礼拝堂に飾ってあったレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵が、テーブルを囲んで椅子に腰掛ける形で描かれているのが、無意識にそう思い込ませてしまったのであろう。道理で、弟子がイエスの胸に「寄りかかって」いたなどの記述があるわけだ。それまで、お行儀が悪い弟子だと思って居たのである。

 考えれば、映画などでみるローマ皇帝ネロの饗宴などは寝そべり形式なのだから、当然その当時の一般の市民の会食も同じ形式であったはずだ。ところが何故か、イスラエルの食卓はテーブルと椅子と思い込んでしまったのである。だから、ベタニアでの塗油もなんだか具体的にイメージ出来なかった。ザアカイ宅でイエスが会食についても、その食卓の交わりがザアカイにとって非常な感激と喜びであったこともイメージを新たにできた。

 まったく、自分ながらお恥ずかしい限りである。しかし、絵のイメージとは強烈なものだ。子供の頃みた「最後の晩餐」の絵のイメージが、どこまでも残ってしまう。日曜学校や聖書の授業などで、こんな基本的なことは教えて貰いたいものだとつくづく思う。