inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

「パイドン」読中感⑥-霊魂不滅の証明の続きからソクラテスの死まで

三、霊魂不滅の証明-3

(8)間奏曲Ⅱ。言論嫌い(ミソロギアー)への戒め-2
※ここまで読み、魂(霊魂)が死後も存在することについてのの三つの証明の論理は坑だらけで納得できない。シミアスとケベスの反論にむしろ共感を感じる。
 これまでのところ、Sと彼らの討論の前提として、①「善きものそれ自身or根源」であるイデアの永遠不滅の実在、②魂はイデアに近づくと本来在るべき状態になり、幸福になること、の2点は前提とされており、シミアスも「イデア実在ほど私にとって明白なことはない」と言っている。だからケベスの提議した<死んでも魂は存続しなんらかの力と知恵を持ち続けるか>につき、これまで対話が続けられてきたのである。そして想起説などにより、魂が肉体を受ける前から存在した点も合意ができたように見えた。
 次に魂が肉体と別れ(死んで)魂自身で存在しうることが非合成説などで証明された。
 ところが、ここでシミアスが話を蒸し返し、「もし魂が、楽器から生じる音楽のように、肉体の生命活動から生じる調和(ハーモニー)であれば、肉体が死ぬと消滅するのではないか」と反論。ケベスも「死後存在し得たとしても、肉体より長持ちするだけで、やはりいつかは消滅する可能性もある」と不滅性に疑問を呈した。
 両者の反論に、一同は「魂の不滅性」に確信が持てなくなり沈鬱な気持ちになる。しかしSだけは、鋭い反論に感心し、喜んだ様子であった。パイドンに要請され反論を開始する前に、Sはまず「言論嫌い(ミソロギアー)」を戒める。
 ある人を信頼しそれが裏切られると、人間全部を信頼しなくなるのが人間嫌いである。それと同様、ある事柄についての言論に失望すると、言論そのものを信用しなくなり、その事柄についての真実を追究しようとしなくなる事が「言論嫌い(ミソロギアー)」である。その結果、自分の主張を(真理がどうあれ)押し通し、法廷弁論のように相手方を打ち負かす為にのみ言論を用いるようになる。あるべき言論とは、ある事柄についての言論を鵜呑みにしたり無視したりせず、充分に検討し同意できない事を反論し、(対話によって)真理を追究する事である。Sが、ケベスらの鋭い反論を喜び感心したのは、ケベスらがSの証明を真摯に検討し、真理を追究する誠実さを示したからである。
 だから自分も彼らの反論に誠実に応答するから、君たちも真理ではないと思える点については指摘して欲しい、と要請した。
 ※論理の展開よりも、Sの真理追究の熱意と誠実さに感動した。
(9)シミアスへの答。想起説と「魂は調和である」という説は両立しない。魂は肉体的な構成要素に支配されるのではなく、支配するのである
 Sは、魂が肉体の生命活動から生じる調和であれば、肉体以後に生じるはずである。従って、魂が生前に存在したという想起説と両立しない。また、肉体の構成要素の調和なら、肉体に由来する情態に従う筈であるが、実際は、節制や忍耐のようにそれらを抑制し支配している。即ち、魂が肉体を動かし生命活動を生じさせているのである、といとも容易にシミアスの反論を打破してしまった。そして(10)ケベスの論点の確認をするが、ごれはくりかえしのように思え、省略。
(11)間奏曲Ⅲ。最終証明への準備
 それからSはしばらく考え込み、そして、ケベスを納得させるのは簡単ではないとし、(※数学において解答だけでなく、解答に至る式の正しさも検討されるように)自分の結論を出すに至った過程を語ろうと言い、語り出した。
(a)アナクサゴラス(自然学)への失望…最初は自然現象の追求に熱中し、その秩序の原因を探ろうとしたが、現象の因と果の連続だけであり、秩序を創り出す力としての根本原因は何ら問題にされないので失望した、と私なりに読んだ。
(b)第二の航海-仮説演繹法(ヒュポテシスの方法)
 第二の航海とは、帆を用いず手こぎで確実に向かうべき方向に漕ぎ出すことだそうだ。
 まず最も妥当性があると考えられる言論(ロゴス)を前提とし、そこから導き出される帰結が妥当かどうか検討する。妥当なら、またそこからの帰結を検討し、と言う具合に、真理と思われる方向に進むやり方である。しかし、「大」のイデアの付与により、あるものが大きいとされる、など、本末転倒のように思われついて行けない。だが、ケベスらは納得した。
 しかも、パイドンの話を聞いていたエケクラテスさえで「わずかな知性しかもたない者にとっても驚くほど解り易く、語られた」というのだから、私は余程頭が悪いのだろう。
(12)霊魂不滅の最終証明-イデア論による証明-
 これも転倒した論理のように思えるが、(数の)三というイデアに占拠された数は、三であると同時に奇数であり、これに対して偶数のイデアは決して近づかない。同様に、魂が何かを占拠すると常に生をもたらす以上、生の反対である死は決して近づかない。従って、死が決して近づかないものが<不死>である以上、魂は不死である、とSは結論した。シミアスもそれを認めたが「事柄の大きさと、人間の弱さを考えると、なお不安を持たざるを得ない」と言った。Sは不安を抱くことを正しいとし、結論だけでなく最初の前提についても、繰り返し検討をし続けるべきだとした。その上で、もっとも正しいと思われる言論に従え、と言った。
 ※最善を尽くして最も真理に近い<仮定>に勇気をもって人生を賭けて生きる、とシミアスは最初から述べていた。真理にたいし誠実な接近であろう。この段落でパイドン→ケベス&シミアス→Sの順に背が高いことが分かった。
四、神話-死後の裁きとあの世の物語-
これは、省略。ダンテ「神曲」やミルトン「失楽園」の宇宙観の原型があるように思えた。自分の信仰や信念に基づく世界観を構築できるほど、それらを自分のものとしたいものである。キリスト教においても「信仰は知解を求める」と言われている。

五、終曲-ソクラテスの死-
これも誰でも知っている場面なので省略。Sの言論よりも、その生と死の在り方が、弟子達を感動させたのだろうと思った。この本に記された言論も、ソクラテスの蒔いた(真理の種)がプラトンにおいて芽生えた作品であろう。
 以上、いちいち反応して大変長く、まとまらないものになってしまったが、その過程は楽しかった。まとめの「読後感」は、書かない予定。(完)