inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

「全き愛は、恐れを取り除く」

 最近、久しぶりに映画館で「青いカフタンの仕立屋」という作品を見た。予告編にあったブルーのシルクサテン地に金色のモール刺繍が施されたカフタンドレスに魅せられたからである。しかし、どうしてこうも男性の同性愛がらみの作品が多いのだろう。禁断の愛でないと、愛することの苦しみと勇気が描けないのだろうか。
 主人公の仕立屋(40代後半?)ハリムは、背が高く大人の魅力を持った男性であり、伝統の手仕事にこだわるカフタン職人である。父親から受け継いだ店の、仕入れや客あしらいは妻のミナに任せ、自分はカフタン製作に打ち込む単調な毎日を過ごしている。子供はいない。自宅から店に通勤して働いている。美しい布地に出会うとそれに刺激され、施す刺繍のイメージにあう糸を選び出す目がらんらんと輝く。芸術家肌の職人なのである。今は失われた技法の精緻な刺繍を見ると、製作は引き受けられなくとも研究したくなり、顧客から預からずにおられない。注文は絶えないが、手仕事ではまかないきれず、納期は遅れがちである。だが、彼には人に言えない秘密があった。男にしか情欲を感じない同性愛傾向なのである。戒律に叛くだけでなく、妻への罪悪感から、決まった相手を作らず男性専用の公衆浴場で(プロ相手に)それを処理している。性欲というものは、相手がなくとも、(男性に限らないが)人間の身に備わった欲望だと、つくづく思い知らされる。25年連れ添った妻のミナが、それを見抜いていないはずがない。だが彼を愛しているので、見て見ぬ振りを続けている。実は彼女は末期乳癌で、余命幾ばくもない。無駄な治療は避け、動ける間は今まで通りに暮らすつもりであった。
 だがある日、見習い志望の若い職人ユーセフが店にやって来た。夫が彼に惹かれる危険をミナは感じ、何とか追い出そうとするが、出て行かない。若者もハリムに惹かれていたからである。
 遂に彼女が倒れる日が来た。死期が近いことを夫に告げる。その晩、彼女は夫を求めた。死ぬ前に、命の最後の燃焼を求めるシーンが身につまされる。吉野秀雄の「これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹」が思い出された。生きる事つまり命の内容は、愛することである。「あなたの妻で良かった!」と愛を告げると、ハリムは耐えきれず泣き出して、自分の罪責感を告白する。だが、彼女は言う「ハリム、愛することを恐れないでね」。
 店が閉店したままなのを心配してユーセフが訪ねてきた。だが、衰えきったミナをみて衝撃を受け、泣き出してしまう。ハリムへの愛と心残りが、理解できたのである。彼を巡る二人の争いは終わった。
 ミナが死ぬと、ハリムは戒律を破ることになっても、経帷子で梱包され荷物のようになったミナをほどき、丹精を込めた美しい青いカフタンを着せて、ユーセフと二人だけで彼女を葬る。愛することも愛されることも恐ろしかった彼は、ミナの赦しに触れて生まれ変わった。愛の重荷を負う覚悟ができたのである。もはや、戒律も、相手への負い目もなく、ミナに自分の最高の作品を捧げたのである。注文主のクレームは勿論、ユーセフとの関係についても恐れない。情欲を処理し仕事に打ち込むだけでなく、他者との関係に生きる覚悟がうまれたのである。
 「愛には恐れがあってはならない。全き愛は、恐れを取り除くヨハネ第一の手紙4:18。