inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

アニメ「青のオーケストラ」 佐伯君のこと

 漫画・アニメ好きはまだまだ続いている。標題のアニメは、「四月は君の嘘」同様、クラシック音楽絡みで少年の成長を描いたものである。クラシック音楽絡みというと、一昔前は「のだめカンタービレ」があり、指揮者を目指す音大生の恋愛に絡めて名曲をふんだんに紹介してくれた。ただ、これは人間ドラマとしてはできが悪く、登場人物に殆ど共感できない。天分と経済的豊かさに恵まれた「雲上人」的登場人物の物語であり、生活実感はなかった。その点、標題のアニメは音楽よりむしろ少年達の成長の物語になっており、主人公達を思わず励ましたくなる。
 主人公「青野一(はじめ)」は成績も運動神経もイマイチの中学生として登場する。唯一の取り柄はバイオリン演奏であり、小学生時代はコンクールを総なめした経歴がある。ところが、二年前に著名なバイオリニストである父親の不倫が発覚し両親が離婚、そのショックで音楽から遠ざかってしまった。そこを保健室で出会ったヒロインに励まされ、またバイオリンに向き合うようになる。担当教員も、彼の才能を愛しオーケストラ部のある海幕高校への進学を勧める。首尾良く入学できたその高校のオーケストラ部で、彼は今まで知らなかった音楽に意欲をもつ少年達に出会う。その一人が、彼と同じバイオリン担当の帰国子女「佐伯」である。入部に際し、実力試しに共演を命じられた二人はビバルディ「四季」春の部分を弾き始める。「上手い!」これなら競演できると思った彼だが、相手は自分勝手に演奏し、彼と合わせようとはしない。わざと挑発してくるのだ。「くそ、負けるか!」、夏の雷鳴がとどろく部分、今度は彼が相手を遮ってやり返す。音の喧嘩だ。
 「ちょっと、いつまで弾いてんの!」、制止されたが、「喧嘩」は実に楽しかった。「音=音楽」でやり合う、二人は良い意味のライバルになる。
 この「佐伯君」は、実は彼の異母兄弟なのである。同い年の子供を二人作るとは、彼らの父親は、なんという男だろう!。いくら漫画でも、これは二人の女性に対する酷い裏切りである。だが、ストーリーはそれに触れず、佐伯の子供時代を回想している。
 佐伯はドイツ在住のソプラノ歌手の私生児である。実際にはドイツ人の祖父と日本人の祖母に育てられ、母親はまるで姉のような存在である「家庭」に育った。いずれにせよ、彼はその家の希望であり、愛情の対象として何の違和感もなく成長する。祖父の死により、祖母とともに日本に帰国する。これは、彼自身と彼の母、双方の家庭からの「巣立ち」であった。(父親を失い、母と別れ、その上自分の子供とも別れるソプラノ歌手の気持ちはどんなであろう。孤独を強く意識したに違いない。)
 一方、自分の父親の顔も知らない佐伯にとって、「青野龍仁」とは憧れのバイオリニスト以上の存在ではなかった。だが、思いがけず彼が自分の血縁上の父親だと知る。そして、彼には自分と同い年の息子がいることも知った。その息子「青野一」は、自分があり得た筈の正当な息子であり、自分をその「影」として意識するようになる。日本に帰国し、「青野一」と交代するようにコンクールに優勝する。だが、異母兄弟「青野」には出会えなかった。その前に、「青野龍仁」不倫が報道され、彼の家庭が崩壊したからである。
 「(存在してはならない)僕のせいだね」。異母兄弟への罪責感が障壁となり、彼に近づく事ができなくなる。だが、音楽推薦で入学した高校で彼に出会い、ライバルとなった。ヒロイン達と彼の家を訪ね、これ以上、ただの友人関係に耐えきれなくなって、彼との関係を告白してしまう。
 「そんな事、なんで今まで黙っていたんだ!」。…「ごめん」。
 「そんな事、お前のせいじゃないことぐらい分かっているだろう。適当にゴメンなんていうな!」。…「ごめん」。
 「俺が怒っているのは…。お前は俺のライバルじゃないか。それなのに、父親が誰かなんていう事で、俺を差別していたからだ。俺は、お前の〝仲間〟じゃないのか?」
 この瞬間、佐伯の目から涙が溢れでた。目の前にいる「青野」は、親が同じだなんて関係ない、自分と対等の少年であり仲間=友人だったのだ。
 この場面は、嬉しかった。佐伯は、いわゆる「我と汝」の関係で自分を確立できたのである。佐伯は、血縁とは関係なく「青野一」と出会い、愛するのである。
 このアニメが好ましい点は、音楽の才能を除けば平凡なただの少年達が、お互い切磋琢磨して次第に成長していく姿に共感できるところだろう。彼らを見まもる周囲の大人達の目に、いつの間にか自分も同調していく。
 アニメや漫画にふけるのも、楽しい。