inner-castle’s blog

読書、キリスト教信仰など内面世界探検記

立教大学メサイヤ演奏会

 アルバイト先で知り合った友人と、もう10年近く毎年メサイア演奏会に行っている。主に上野の文化会館の芸大演奏会だったが、今回はじめて立教大学メサイヤ演奏会にいった。アマチュアの学生中心とはいいながら、キリスト教主義学校らしく信仰の心を込めた演奏であることが、ミッションスクール出身の私には何よりも素晴らしく思えた。「この曲を歌うのに一番大事な事は、信仰を持って歌うことです」と音楽の先生に教えられた通りだと思うからである。舞台上部に十字架が掲げられ、演奏の前に大学チャプレンの祈祷があった。
  五味康祐メサイアについて「もし音楽教師であったなら、この曲の合唱を教えて生涯を貫き、良い仕事をしたと満足できるだろう」と書いてるが、その通りに中高の6年間を通じてメサイアの合唱練習をさせて戴いた事、母校に深く感謝している。第一部「預言と降誕」、第二部「受難と救いの完成」と何曲か省略があったが歌い進み、第二部の終りのハレルヤコーラスは、ロンドン初演以来の伝統に従い、聴衆も立ち上がって一緒に歌った。聴衆用のハレルヤコーラス楽譜が、無料で配られたパンフレットに印刷されており、お陰で高校卒業以来何十年ぶりでハレルヤを歌うことができた。さすがにソプラノパートは高音が出にくく、その箇所だけアルトパートで歌ったが、聴くだけでなく自分も合唱に参加できるのが、ただ聴くだけとはひと味違って楽しかった。聴衆も卒業生が多いせいか、殆どの人が一緒に歌っていた。
 第九の演奏会もそうだが、会場が音楽によって一体になる感動が味わえた。独唱もそれぞれ素晴らしかったが、特に第三部のバスのレシタティーヴとアリア「私はあなた方に神秘を告げます」以下のコリント前書15章を歌う部分は、霊的に燃え上がる信仰的確信を表現する名唱であり、まだ全曲が終わっていないのに歌い終わると拍手が起きた。こう言う、聴衆と演奏者の一体感のあるコンサートも親しみがあって良い。
 メサイア仲間もお互い八〇代、七〇代後半になると、体力的に夜のコンサートが負担になってくる。だが、もし来年も元気にいられたら、また来ようね、と言って別れた。また来年も、ハレルヤコーラスが歌えるように元気でいたいものである。